アレキサンダーファン
2016年11月掲載
プロフィール
溝根伸吾(みぞね・しんご) 溝根伸吾
(みぞね・しんご)

東京都出身。都立日比谷高校卒業。東京藝術大学卒業及び同大学院修士課程修了。大学院在学中に平山郁夫文化芸術賞受賞。2011年、Legacy Brass Quintet メンバーとして第7回大阪国際室内楽コンクール、セミファイナル進出。2014年、Tanabata Quintet メンバーとして第63回ミュンヘン国際音楽コンクール木管五重奏部門に出場。ホルンを故・伊藤泰世、守山光三、阿部雅人、西條貴人、日高剛、伴野涼介の各氏に師事。T.イェプストル、R.ヴラトコヴィチ、D.クレヴェンジャー氏らの公開マスタークラスを受講。J.ヒンターホルツァー氏によるザッハラング国際マスタークラスを修了。声楽を萩原潤氏に師事。2015年から2016年にかけてミュンヘン音楽演劇大学に留学。J.ヒンターホルツァー氏に師事。ナチュラルホルンも学ぶ。ソリストとしては、2014年11月にピアニストの針生奏子氏とデュオ・リサイタルを仙台にて開催。2015年1月、星陵フィルハーモニー管弦楽団(日比谷高校OB・OGオーケストラ)とグリエール作曲《ホルン協奏曲変ロ長調》を共演。同年6月には、仙台フィルハーモニー管弦楽団とシューマン作曲《四本のホルンのためのコンツェルトシュトゥック》をソリストの一人として共演。大学院在学中にオーディションに合格し、2013年3月より仙台フィルハーモニー管弦楽団団員。日本ホルン協会理事(宮城)。趣味は、読書、ピラティス、カフェ巡り、哲学。Twitter:@mizone_s


使用楽器:
アレキサンダー103MBL
使用マウスピース:
JK SF3(ヴィル・サンダース・モデル)

第49回 プレーヤーズ
溝根伸吾 インタビュー

国内外のホルンプレーヤーにスポットを当て、インタビューや対談を掲載するコーナー。
ホルンについてはもちろん、趣味や休日の過ごし方など、
普段知ることの無いプレーヤーの私生活についてもお伝えします。



─どんな経緯でホルンを始めたのですか。

 通っていた小学校にたまたまオーケストラクラブがあり、5年生のときにクラスの友だちに誘われて入りました。やはり最初はトランペットをやりたかったのですが、空いていたのはホルンとトロンボーン、あとなぜかあったユーフォニアムでした。2週間くらいかけて試してみた結果、なぜか「ホルンが吹きやすい」と思ってしまって。なんでそう思ったのかいまだに謎なんですけれど(笑)。


─中学校では?

 そのまま区立中学に行き、吹奏楽部に入りましたが、同時に小学校のOBオーケストラで月に1回くらい吹いていました。高校は都立日比谷高校でオーケストラをやっていました。


─2015年に、日比谷高校のOBオケである星陵フィルハーモニー管弦楽団と、グリエールのホルン協奏曲を吹かれたんですね。YouTubeで拝見しました。

 良い経験をさせていただきました。高校の先輩に、今フリーで活躍されているホルン奏者の庄司知世さんがいて、以前やはり星陵フィルでモーツァルトのホルン協奏曲第3番を演奏されています。他にも卒業生でプロになっている人がソリストを務める伝統のようなものがあったので、そこに加えてもらった感じですね。曲も、やるならグリエールかなと。大好きな曲なので。


─しかし日比谷高校のオーケストラと言えばかなり有名ですが、それを目指して?

 そうですね。高校を選ぶとき、オーケストラのある学校か、吹奏楽の強いところか、という基準でした。2年生の秋で引退なので実質1年半しか活動できなかったのですが、2年生のときは部長もやっていて、部活に没頭していました。ただ、進学校だったために部活があるのは平日の4日間のみということで、ちょっと物足りなく感じ、同時にNHK交響楽団の篠崎(史紀)さんの主宰する東京ジュニアオーケストラソサエティにも入っていました。


─音大を目指すきっかけとなったのは?

 高校1年生のときに、腕試しのつもりでソロのコンクールを受けたのですが、思うような結果が出ずに悔しくなって、「もっと突き詰めてみようかな」と思ったのがきっかけです。


─それからレッスンに通うようになったとか?

 実は、中学2年生のときから(故)伊藤泰世先生のレッスンに通っていました。今考えるとすごいことですが(笑)。母が武蔵野音大卒で、母の先生でもあり僕も習っていたピアノの先生に紹介していただいたんです。伊藤先生はレッスンでも優しくて、とても良くしてくださいました。「藝高(東京藝大付属高校)に行かないか」とも言われたのですが、まだプロになるとかは考えていなかったので……。


─でも高校に行ったらホルンにかなりのめり込んでしまった。

 つの笛集団のキャンプや、日本ホルン協会主催のキャンプとか、伊藤先生のボスキャンプにも参加していました。大好きだったんですね(笑)。


溝根伸吾


─結局、東京藝大に進んだわけですね。

 高校2年の春に親に相談したら、父の猛反対にあって、結局「1年目は藝大なら受けていい。それがだめだったら、2年目は藝大と一般大学を受ける」ということで許してもらえました。結局2年目に藝大に合格したのでよかったですが、普通の受験勉強もしなければならなかったので、大変でした。
 浪人中は伊藤先生と守山(光三)先生に並行してレッスンを受けていたのですが、その途中で伊藤先生が亡くなられてしまい、守山先生も忙しくて、そこで紹介していただいたのが阿部雅人先生でした。11月末頃の最初のレッスンで「その吹き方では藝大に受からない」と、アンブシュアを一から見直すことになりました。具体的にはマウスピースを当てる角度が悪かったのと、アパチュアが開きすぎていてハイトーンが思うように出なかったんです。入試の課題がモーツァルトのホルン協奏曲第4番だったので、ハイE♭まで軽く吹けないといけなかったので。


溝根伸吾

─しかしよく受験に間に合いましたね。
 もう奇跡ですよ(笑)。入試3か月前なのにチューニングのB♭しか出ないような状態になってしまって。でも阿部先生が昔悩んだ問題と、僕がそのとき抱えていた問題がリンクしていたそうで、納得して取り組むことができました。
 入試はうまく行ったのですが、藝大に入ってからやることが多くて、夏頃にまた調子を崩してしまいました。久しぶりに阿部先生のところにレッスンに行ったら「吹き方、元に戻ってるよ」と言われてそこからまたやり直し。そこそこ吹けるようになるまで2年くらいかかりました。



伊藤(泰世)先生には“ホルンの愛し方”のようなものを教えていただきました

─藝大ではどなたのレッスンを受けたのですか。

 守山(光三)先生はもちろん、西條(貴人)先生と日高(剛)先生、大学院では伴野(涼介)先生にも付くことができました。希望すればどなたのレッスンでも受けられたので、人によって違うアプローチを学ぶことができてよかったと思いました。


─それにしても、伊藤先生に始まり、そうそうたるメンバーですね。

 本当に、先生に恵まれていたと思います。特に中学生のときからお世話になった伊藤先生には“ホルンの愛し方”のようなものを教えていただき、僕も自然に「ホルンていいなあ」と思うようになりました。今でもずっと憧れていて、伊藤先生のようになりたくてやっているところがあるんですよ。音大に行きたくて親に反対されたときには、伊藤先生が両親を説得してくださったこともありました。思い出すだけで泣きそうになります……。
 あと、日高先生が藝大で非常勤講師となり、同時にN響でも吹いていた限られた期間に教われたことはとても幸運でした。N響の1stアシスタントで使ってもらったりとか。


─それは貴重な体験ですね。

 もうシビれますよ(笑)。あと日高先生とは、今でも飲むとよく話す思い出があります。熊本のオーケストラで日高先生が1stを吹いてモーツァルトの交響曲第39、40、41番を演奏したときに僕も2ndで使っていただいたのですが、仙台フィルに入った翌年で、「先生とか周りの人たちにどう思われているかな」とか余計なことを考えてしまって、守りに入ってしまったというか、思い切って吹くことができなかったんです。それが演奏にも出てしまって、なかなか合わない。いろいろアドバイスしてくださったんですが、最後にはしびれを切らして「使えない!」と言われてしまいました。
 でもそう言われたことで「あ、やっぱりそうか」と納得できたんです。実は仙台フィルに入ってから「これでいいのかなあ」と自分の中で悩んでいたところで、ガツンと言ってくださったおかげで吹っ切れました。そして本番が終わったら「良いじゃん!」と。日高先生は、やはり僕が悩んでいることを見抜いていたんですね。後で、「あれでダメだったら一生口きかないつもりだった(笑)」とも言われました。おかげで仙台フィルで吹くときも、以前より思い切って演奏ができるようになりました。


─仙台フィルは大学院の2年目にオーディションを受けられたんですよね。

 とにかく「オケに入りたい」と思い、それまでもいろいろなオケを受けていました。仙台フィルでは現在2、4番吹きというポジションです。どちらかというと2番が多いですね。


─ずっと下吹きだったんですか?

 阿部先生には「下吹き、上吹きというのは自分で決めることではなくて、周りが求めることだから、両方できるようにしておくように」と言われました。僕もどちらがやりたいということはありませんでしたが、性格的に下吹きかなという気はしていて、オーディションも下吹きで受ける回数の方が自然と多くなっていました。


─しかし慣れない土地に行って、プロオケに入るということは大変ではありませんでしたか。

 一人暮らしも初めてでしたから、家事も大変で。オケも乗り番のペースがつかめず、最初の月はめちゃくちゃ乗り番を入れたんです。たまたまその月にロシア公演もあったために日本でのスケジュールが凝縮されて、余計に忙しかったんです。そうしたら曲の勉強が追い付かなくなってしまって、自分で納得できないまま本番を迎えることがすごく嫌で、「このままやっていたらホルンが嫌いになってしまう」と思って次の月からは乗り番を減らしました(笑)。減らしたというか、最初の月がたまたま忙し過ぎたんですけれど。


溝根伸吾

─ところで、オーケストラでははっきりと下吹きということになりましたが……。
 そうですね。気づくとソロが吹きづらくなっているということもありますね。下吹きだけでやっていくと決めてしまってそれを突き詰めるのも良いと思いますが、僕は室内楽やソロのコンサートもやりたいなと思っていますので、そのバランスが難しいです。
 あと、僕は最終的には先生になりたいんです。いろいろな生徒にいろいろなことを教えたいので、いろいろな経験を積みたいとも思っています。まだまだ先の話ですけれど、オケに入れるような人材を育てられたらいいなあと。



言葉に関係なく同じ感覚でやっているということがわかった

─ミュンヘンに留学したのも、仙台フィルに入ってからですよね。

 藝大時代にホルン科の合宿があって、たまたま守山先生と一緒にお風呂に入っていたとき、「西洋音楽をやるなら、一度はヨーロッパに行かないとね」とぼそっと言ってらして、それがずっと頭の中に残っていたんです。「本当にそうなのか」確かめたいのもありましたし、実際にドイツに留学経験があって活躍されている方も多いので、行ってみたいと思っていました。それから、先ほどお話ししたように、大学に入ってから再びアンブシュアを直していたので、やっておくべきソロの曲を十分でないまま卒業してしまったという意識があるんです。


─ヨハネス・ヒンターホルツァー氏のところに行こうと思ったのは?

 藝大ホルン科のウィーン修学旅行で、リンツのブルックナー音楽院のホルン科と一緒に演奏したのですが、ヒンターホルツァー先生は当時そこの教授で、一緒に《タイタニック》を吹いたものでした。
 そして、2年前にミュンヘン国際音楽コンクールの木管五重奏部門を受けて、幸いテープ審査に通ったので、ミュンヘンに行って演奏して来ました。結果は1次まででしたが、航空券は最終日に合わせて取ってあるので、時間が空くじゃないですか。たまたま知人に誘われて3泊4日でヒンターホルツァー先生の講習会に参加しました。ちょうど留学のための先生を探していたところだったのですが、最初のレッスンを受けて「ああ、この人だ!」と思いました。


─具体的にはどんなところがピンときたのですか。

 いろいろなことを論理立てて教えてくださって、「こういう問題に直面したときにはこういうエクササイズをやるといい」ということが明確で、それをすることで自分ができるようになるのが実感できました。人間的な面でも、先生の言うことが僕の考え方とマッチすることが多く、自分の中でしっくり来る感覚がありました。もちろん演奏も素晴らしかったです。


─「大学時代やり残したソロ曲を仕上げる」という目標は達成できました?

 全部とはいかないまでも、少しは達成できました。ただちょっと困ったのは、帰国してから低音が出にくくなっていて(笑)。納得できるような状態に戻るまで2〜3か月かかりました。


─では、守山先生のお風呂での言葉はいかがでしたか?

 やはり行って良かったと思いました。音楽云々というよりも、向こうの人の人間性というか、考え方がわかりました。実は考えていることはそう変わらないんです。ミスしたら悔しいし、ソロの前はナーバスになるし、笑うポイントも一緒。言葉に関係なく同じ感覚でやっているということがわかったので、それも良かったかなと。


─ヒンターホルツァー氏はナチュラルホルンも得意ですよね。

 信じられないくらい上手ですよ! ナチュラルホルンのレッスンも受けましたし、今使っているナチュラルホルンは、先生から買ったものなんです。


溝根伸吾

─ナチュラルホルンのワザのようなものを教えていただけませんか。
 そうですね。いろいろありますが、右手をふさいだときに、指を曲げるか曲げないかで、音色と音程が変わるんです。そういうことはやはり習ってみないとわからない。レッスンでは、ストップからオープンにするときにポルタメントをかけないでスラーで吹くコツなども教わりました。



今までなかった分野というものが、僕にとってすごく面白い

─さて、アレキサンダーの楽器を使い始めたのは?

 大学4年生の冬からです。以前はアレキサンダーを吹いても、全然良い音が出ませんでした。でも教育実習で日比谷高校に行ったときに、先輩から寄贈されたというアレキサンダーがあって、吹いてみたらけっこう吹けて、良い音が出ました。学生は誰も使っていなかったので、貸してもらって藝大の試験とかで吹いてみたら予想以上に吹きやすくて、「いつの間にか吹けるようになってる」と感じたものでした。
 多分、アンブシュアを見直したことが大きかったのだと思います。伊藤先生や守山先生のサウンドを間近で聴いていたので、アレキサンダーの音色にはずっと憧れがあって、吹けるようになったのは嬉しかったですね。それで103に買い替えて、今も同じ楽器を使っています。やはり、この音色が好きですね。
 ミュンヘンに留学したときも、プロオケでは基本103が使われているように見えました。ミュンヘン音大の友人も「103じゃないとドイツではノーチャンスだ」と言っていました。


溝根伸吾


─マウスピースは何をお使いですか。

 JKのヴィル・サンダース・モデルです。内径が18.5mmあるのですが、もっと大きくてもいいかなと思っています。今、18.7mmのものを発注しているところです。


─これでソロも吹くのですか。

 唇が厚いということもあるのですが、内径が小さいと逆に高い音は出ないですね。僕も大学に入ったときには標準的なものを使っていたのですが、あるとき内径17.8mmくらいのマウスピースを吹いてみたら「むしろハイトーンが出る」と思い、それからだんだん大きくなっていきました。


─これからやってみたいことはありますか。

 オーケストラをきちんとやりつつ、レッスンのスキルも磨いていきたいです。最近のマイブームでは、ホルンを科学的に研究されている平野剛さんという方がいらっしゃるのですが……。


─2015年のホルンフェスティバルで研究成果を発表されていた方ですね。

 実は僕が学生のときに、被験者となったことがあったのですが、先日も桜美林大学に門下生とともに邪魔して、マウスピースにかかる圧力を測ったりしてきました。


─溝根さんはプレスは強い方でしたか。

 弱かったです。バボラークのデータがあるのですが、ハイFでは彼の半分の力しかかかっていないことがわかりました。試しにプレスを強くしてみたら、ハイトーンが吹きやすいんです。こうやって数字で表示されてると、今までプレスしているつもりで足りていなかったということがよくわかります。
 それから、アレクサンダーテクニークのバジル・クリッツァーさんにも大学院の授業で1年間お世話になったことがあるのですが、その縁で仙台に来てもらって仙台フィルや山形交響楽団のメンバーで講習を受けたりとか、今度は門下の集まりにも来てもらうことになっています。
 また、ドイツ語で“Musikmedizin(ムジークメディツィン)”という、音楽家専門の心理カウンセラー兼メンタルトレーナーがいるのですが、日本でもそういうことをやってくれる人がいないかなと、今探しているところです。スポーツの世界って、1人の選手に対して、トレーナーがいて、医者がいてと、チームで当たることがあるじゃないですか。楽器に関してもそれがあっていいんじゃないかなと。
 そんなふうに、今までなかった分野というものが僕にとってすごく面白いので、いろいろな分野の人たちとリンクして行けたらいいなと。そして、それらをうまく統合して、自分のプレイと、レッスンに活かせればと思っています。自分の生徒に対してももちろん、仙台フィルの同僚にも紹介したりすることで、全体のクォリティを上げることができるのではないか。それが僕の野望です(笑)。


溝根伸吾



「趣味」のコーナー

─プロフィールの趣味のところに「ピラティス」と書いてありますが。

 今ちょっとお休みしていますが、間もなく再開するつもりです。実は仙台フィルのオーディションの半年ほど前に、食生活を改善したりとか、ピラティスを始めたりとか、自分の中で変革があったんです。アルバイト先に置いてあった自己啓発本をたまたま見たところ衝撃を受けて、自分の考え方ががらっと変わってしまいました。それまで甘い物が大好きで、常にカバンにチョコレートが入っているような状態だったのですが(笑)、糖質を控えるようにしたら体調がすごく良くなって、身体が軽く感じるんです。当然楽器も吹きやすくなりました。オーディションもその良い流れで受けられたと思います。


─他にも「カフェ巡り」とか「哲学」とか、気になることが書かれていますね(笑)。

 仙台には少し奥まったようなところに、お洒落なカフェがあるんです。もともと甘い物も好きだし、コーヒーも好きなので、ネットとか雑誌などで良さそうなカフェを探して行って、作業をしたり、本を読んだりしています。もちろん東京にも良いところがたくさんありますよ。「女子か!」というツッコミが入りそうですが(笑)。「哲学」というのも、そういうところで「人はなぜ生きるのか」などということをボーっと考えているんです。


─スポーツなどは?

 仙台フィルにフットサルクラブができたんです。月に一度くらいの割合で活動しているのですが、行けるときには行って楽しく汗を流しています。仙台は楽天もベガルタもあるので、野球もサッカーも応援に行きます。


─他に仙台の良いところを教えてください。

 海の幸とか牛タンもいいですが、何より日本酒ですね。宮城では一ノ蔵、日高見などが美味しいですよ。東北に行って日本酒が好きになりましたから。仙台は街の規模が大きすぎず小さすぎず、人が多すぎず少なすぎず、すべてがちょうどいい。夏は涼しく冬も雪が多いわけではない。とても良い街です。僕は、人が住むのに世界で一番適した街だと思っています(笑)。




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