アレキサンダーファン
2015年06月掲載
プロフィール
熊井優(くまい・ゆう) 熊井優
(くまい・ゆう)

神奈川県出身。武蔵野音楽大学卒業。兵庫芸術文化センター管弦楽団(PAC)団員を経て、現在神奈川フィルハーモニー管弦楽団契約団員。第22回ヤマハ管楽器新人演奏会、小澤征爾音楽塾、東京のオペラの森、サイトウキネンフェスティバル松本、北九州国際音楽祭出演。ホルンを故・伊藤泰世、今井仁志、日高剛、山内研自、ラースロー・ガールの各氏に師事。

使用楽器:
アレキサンダー 103MBL
使用マウスピース:
ティルツ・シュミット8

第44回 プレーヤーズ
熊井優 インタビュー

国内外のホルンプレーヤーにスポットを当て、インタビューや対談を掲載するコーナー。
ホルンについてはもちろん、趣味や休日の過ごし方など、
普段知ることの無いプレーヤーの私生活についてもお伝えします。



─現在は神奈川フィルハーモニー管弦楽団の契約団員を務められていますが、どんなポジションを吹いていますか。

 下吹きで、主に2ndを吹いています。


─神奈川フィル以外の活動としては?

 小編成の室内楽は意識的にするようにしています。やはりオーケストラの中で2ndホルンだけ吹いていると音域的にも低めの音に偏ってしまいますので、それによる弊害が出ないように、いろいろな音域でいろいろな曲を吹くようにしようと思っています。1人のホルン奏者としてどんなことでもできるようにしておくということと、モチベーションを保つためにも、数か月に1回のペースで小編成のアンサンブルはするようにしています。
 3年間兵庫芸術文化センター管弦楽団(PAC)にいたのですが、出身地である神奈川に帰って来たのをきっかけにいろいろな演奏活動を始めています。この間はオーボエとピアノとトリオで演奏会をしましたし、地元で依頼されてソロもやりました。今度はテノールとピアノと3人でリサイタルをします。


─ホルン、テノール、ピアノでできるトリオというとどんな曲があります?

 いろいろ調べたのですがブリテンの《セレナーデ》くらいしかありませんでした。オーケストラをピアノにアレンジした譜面で演奏することにしました。


熊井優

─ところで、2ndホルンの役割というと、まずは1stに合せること、というイメージですが。

 原則としてそうだと思います。しかし、「ただ寄り添う」のではなく、自分の中にきちんとした根拠を持って演奏するべきだと思っています。「この人がどうして今こう吹いているかをわかった上で、こうしたら吹きやすいかな」というように、一番吹きが考えていることを、できるだけ実感としてわかることが必要だと思うんです。


─実際に一番を吹いた経験があると、より実感できるわけですよね。

 兵庫芸術文化センター管弦楽団(PAC)のオーディションに受かって芸術監督の佐渡(裕)さんと相談してポジションを決めるときに、それまで僕は上吹きとして仕事をしたことはほとんどなくて学生時代から下吹きだったのですが、「もし希望するなら上吹きをやってみてもいいよ」と言われて、1、3番を吹くことにしました。なかなかそういうチャンスもないし、上を吹くことによって見えて来るものもあるのではないかと考えてのことですが、やるからには責任があるので、すごく練習しました(笑)。
 しかしそれまでずっとやっていた下吹きに比べると、トップの人の意図をくみ取るのか、自分から発信していくのかという大きな違いがあり、曲を勉強する段階で「自分はこう吹こう」とか「こういうふうに行ってみよう」とか考えてリハーサルに臨むようにしました。2ndを吹くときには自分で勝手に作り上げてしまうとよくないので、ある程度フラットな状態で行きますが、1stのときには決めて行かないと、2ndの人が「この人はどうしたいんだろう」と迷ってしまうので。実際に自分が2ndを吹いたときに、相手の意図がつかめないことも経験がありましたから。


─そういうふうに下をわかっている人が上を吹くのも良いし、今のように上をわかっている人が下を吹くと、うまく行きますよね。

 そう思います。兵庫はとても貴重な経験ができた3年間でした。それから、PACでは外国や国内いろいろなところから素晴らしいプレーヤーをエキストラとして呼べるシステムがあって、都響の五十畑(勉)さんや野見山(和子)さん、それから阿部(雅人)さんにも下を吹いていただいたことがあります。そういう人に下を吹いてもらうと良い流れに乗せてもらうことができ、リハーサルで失敗しないので本番に自信を持って臨むことができます。しかもその成功体験がまた自信につながる。「下が良いとこんなに上手くいくものなんだな」と実感して、「自分が下を吹くときにはそうなりたい」と思っていました。
  あと、それから1アシも名だたる人に吹いていただきました。(ギュンター)ヘーグナーとか、(デイル)クレベンジャーとか、あと笠松(長久)さんに吹いていただいたこともあります。しかし実際に吹いていただくと、逆の立場だったら「そこは違うよ」と取って代わって吹きたくなってもおかしくないのに、1アシの席に座ると、1アシの仕事をしっかりとされるんです。そこがすごいと思いました。
 こういうことって、東京のオケにいたら絶対にできないことだったので、本当に良い経験をさせていただきました。


熊井優

─名人級の人たちが自分の下とか、アシを吹くというのは、どういう気分なんですか。
リハーサルが始まるまでは毎日が心配でしたが(笑)、1stが最も良い状態で吹けるように助けてくれるので、緊張を強いられる曲でも上手く終えることができました。具体的に言うと、細かなことですが楽器を構えるタイミングだったりとか。1stがちょっと緊張しているということを感じ取って、ちょっと早めに構えてくれたりとか、ちょっと音程が上ずっているようなときに2ndがすっと指標を示してくれたりとか。自分もできるようになりたいですね。


─以前から下の音が得意だったのですか。

 伊藤(泰世)先生のレッスンはホルンの音域を上から下まで万遍なく吹けるようにすることから始まるのですが、高校生のときに僕の音を聴いて「下の音色が良いから、それをヒントにして中音域、高音域を吹けるようにしなさい」と言われました。中学生のときに高音が苦手で、周りには高音が得意な人がいたので「その逆を行ってみよう」と低い音ばかり練習していたという影響もあったと思います。でも、下の音に苦手意識を持たないということも、大事なことだと思います。
 学生時代から考えていたことは、将来どういうポジションでやっていくにせよ、オーソドックスなプレーヤーになりたいということでした。人によって合う、合わないということがなく、どこに行っても大丈夫なようにしたいと。それは一貫しています。




「アレキサンダーに導かれた」ような1年でした

─ホルンを始めたのは中学校の吹奏楽部で?

 はい。でも最初はホルンの魅力に取りつかれたというよりは、みんなで同じ目標に向かって努力するとか、ひとつのものをみんなと共有するという経験をしたことで、「合奏っていいな」と思うようになりました。
 中学2年生になったころにホルンという楽器そのものに興味が湧いたこともあり、またコンクールの練習で具合が悪くなるくらい怒られて「楽器が上手くなりたい」と思うようになり、東京フィルの山内(研自)先生のところにレッスンを受けに行きました。当時先生はアレキサンダーの103を使ってらっしゃったのですが、最初のレッスンのときに聴いた音にインパクトを受けました。僕が103を使うようになったのもその影響が大きかったと思います。その後も山内先生のところに不定期にレッスンに通っていました。
 高校は東海大相模に進みましたが、教えに来てくださっていたOBの先輩が武蔵野音大生だったのですが、話を聞いているうちに興味が出てきて、高2のときに音大を受けたいと思い、伊藤先生のところにレッスンに通うようになりました。


─大学時代から下吹きだったということですが。

 大学に入って間もなく、伊藤先生に「君は下で売り出した方がいい」というアドバイスをいただき、以来学生時代はほとんど下ばかり吹いていました。アレキサンダーホルンアンサンブルジャパンや都響などで伊藤先生が下を吹いているのを聴くと、「ああやって下の音でみんなを支えるのは渋いな。あんなふうになれたらいいな」と。「大変だろうな」とも思いましたが(笑)。伊藤先生は僕が大学4年生のときに亡くなってしまったのですが、上を吹くようになったのはそれ以降です。
 もともと低音を良い音で吹こうと思うあまり口の中の容積が大きくなりすぎて、上の音が出にくかったというのもあります。でも大学2年生のときに楽器をアレキサンダー103に替えて、それから上の音の吹き方も少しずつ見えて来ました。アレキサンダーにしたのは、先ほどお話しした山内先生の音にインパクトを受けたこともありますし、もちろん伊藤先生の影響も大きいです。アレキジャパンや都響で吹いている音をいつも耳にしていましたから。
 人からは「アレキサンダーに替えると抵抗感が強くて……」という話を聞いていたのですが、そこに関しては問題はなく、むしろ「吹きやすいな」と感じました。その後の学校の試験でもそれまでとは違った良い手応えがありましたし、大学3年の9月に初めて受けたオーディションがきっかけとなって、最初のプロオケでの仕事にも繋がりました。その年は何か「アレキサンダーに導かれた」ような1年でした。


─逆に下が出にくくなったりはしませんでしたか。

 最初そう言われましたが、全然気にしませんでした。それは人それぞれですからね。そうなったらそうなったでまた練習すればいいと思っていました。


熊井優

─他に103の良いところはどんなところだと思いますか。

 やはり音の艶ですよね。硬質感のある音色も魅力だと思います。大学を卒業してからオーストリアでエーリヒ・ペンツェル先生のマスタークラスを受けに行ったときに、「なぜアレキサンダーを使っているんだ?」と尋ねられました。「これは理由もなく使う楽器ではない。103を使う理由を説明できるか」と言われて、先生が納得したかどうかはともかく、きちんと説明できるだけの魅力は感じていました。
 また、ドイツなどで103の音を聴いて、より良いと思うようになりました。実は留学しようと思っていて準備しながらオーケストラのオーディションを受けていたらPACに受かったので留学はしませんでしたが、その前しばらくはドイツのマスタークラスに毎年通っていました。シュトゥットガルトで(クリスティアン)ランペルトのクラスに入りたくて試験も受けたのですが、残念ながら合格しませんでした。おさらい会に呼ばれたので行ってみたのですが、ものすごくレベルが高くて「ここにいる人が日本に来たら、みんなオケに入ってしまう」と思ったほどでした。


─なぜドイツで勉強したかったのですか。

 僕は小さいころイギリスに住んでいたので、イギリスに行くことも考えていました。でも、日本のホルン吹きはドイツに留学した人がとても多い。その理由を知りたいなと思っていました。そこでどんなことを学んで帰って来たのか、行ってみないとわからないな、と。実際の話、歴史上の誰々がここの歌劇場で吹いていたとか、作曲家がこの家に住んでこの景色を見ていたとか、そういうことに触れられるのも大きいですよね。
 あとは音色のことです。行ってみてわかったことですが、僕が日本でイメージしていた「良い音」とドイツのそれとの間には差がありました。プロの奏者に限らず、学生の出している音も日本とドイツではかなり違います。あの明るくてスピードの速い音を出したいと今も思っているのですが、なかなかできなくていらいらすることも多いです(笑)


─今でも留学したいという気持ちはありますか。

 それはあります。ヨーロッパでの生活は夢にもよく出てきますから(笑)。ヨーロッパに限らず、日本の中だけで視野が狭くならないようにして、どんどん外にも出て行きたいと思っています。そのために英語も毎日勉強しています。


熊井優

─ところで熊井さんは、先生以外でどんな奏者に影響を受けたと思いますか。

 中学生のときに最初に買ってもらったCDは(デイヴィッド)パイアットでした。次は(ゲルト)ザイフェルトのモーツァルトのコンチェルトでしたね。それほど深くわかるようなレベルではありませんでしたが、「ホルンは本当はこういう音がするんだなあ」と思っていました。高校に入ってから先輩の影響もあってオーケストラのCDもよく聴くようになって、印象に残ったのは(ウォルフガング)トムベックでした。ウィンナホルンがどうというより、音楽が大きいなと感心していました。
 それから、ドイツのマスタークラスで習った(ヨハネス)ヒンターホルツァーですね。音、レッスンの仕方、生徒との触れ合い方など、生き方すべてが格好良かったです。日本ではあまり有名ではありませんが、憧れますね。彼はオーストリア人ですが、楽器はウィンナホルンではなく、アレキサンダーです。
 こういうのって、 自分が目指したい音と、「これは自分にはできそうにないからすごい」と思う音と、両方あると思います。(ラデク)バボラークは、僕にとっては後者です。でも、彼が来日すると演奏会には行きますね。純粋に良い演奏は聴きたいし、何らかのアイディアをつかめることもありますので。例えば低音もボーっとした音で吹くのではなくて、彼のような通る音で吹きたいとか。そういう音がオケの中で出せたら、すごいことができるのではないかと思います。


─低音は太い音がいいとされることが多いですよね。

 一見良さそうですが、そうでないこともある。その違いがまだ自分の中で完全にわかっていなくて、試行錯誤しています。「これで合ってる」と思いながらも、「もっと合うのでは」と思う自分もいて、でもどう吹いていいかわからない場合もあるし、考えながら吹きすぎて音楽の流れを失ってしまうこともあって。
 理屈でどうこうではなくて、感覚でできるようになればそれが一番良いので、それが究極的な目標なのですが、そういう感覚を習慣化させるために今は考えているという状態です。



下吹きでも通る音で、1stの人と近い吹き方でないと響きが合わない

熊井優

─ところで、今日は新しい楽器を試奏して選ばれたそうですが、今お持ちのアレキサンダー103はどのくらいお使いなんですか。
 約10年です。ベルだけは「エクストラストロングフレア」と呼ばれるもので、より高い圧力をかけて絞り出したタイプを使っています。2012年の夏に福川(伸陽)先輩のマスタークラスを大阪で見た時に「新しいタイプのベルがあるよ」と紹介して頂き、試奏してみて気に入ったので即決でした。
 その時期PACで《トスカ》をやっていたのですが、ベルを買った日の夜の公演で早速使ってみたら周りから「何か変えた?」と言われました。僕としても以前のベルに較べて反応が良いと感じました。前のベルがぶつけたのを直したこともあってちょっと弱っているような印象もあったので、このしっかりしたベルを付けることによって楽器が甦ったかなと。
 とはいえ、10年という節目の年でもあるし、今の新しい楽器を吹いてみると何か変化が見えるかと思って、今日何本か吹かせていただきました。10年の変化はよくわかりませんでしたが、今持っている楽器よりも明るい音で吹ける楽器を選びました。


─では、10年間の間に熊井さんが変わった点はありますか。

 いっぱいあります。まず、下吹きとは言っても通る音で、1stの人と近い吹き方でないと本当の意味で響きが合わないんです。最初はそれを指摘されてもよくわからなくて、でも合っていないのはよくわかって、だんだん消極的になり息にも影響が出て、という時期がありました。
 それでドイツにマスタークラスを受けに行ったのですが、そこで言われたことは口の中の容積のことと、舌を奥に戻しすぎているということ、それから「喉ぼとけを下げて吹くな」ということ。これはアジア人全般に言えることだそうです。それを意識するようになって、前よりも強く音が出せるようになりました。
 それから、PACで上を吹いた経験によって、そのフレーズにふさわしい量の息を吸うようになりました。以前は低い音ばかり吹いていたせいか、息を吸い過ぎてしまうことがありました。


─息を"吸い過ぎる"ということがあるんですか!?

 これは人によっては違うと思うかもしれませんが。僕がPACで吹き始めた頃、目立つところで上のCの音を二分音符くらい伸ばす場面があって、それが上手くできなかったんです。なぜかと言うと、息が余ってしまうから。今こうして話しているくらいの息で十分なのに「吸わなきゃ」という意識が強くて、出のタイミングを計ると息がたまってしまって、狙っているところよりも低いところに行ってしまう。それを後ろで見ていたトランペットの人がひとこと「吸い過ぎ」と。結局、そのフレーズに必要な量のブレスを取るということで、音楽と関係のないブレスはだめということです。
 「こういう音で吹きたい」というものがまずあって、それに合ったニュアンスで吸わないと、やみくもにたくさん吸ってもだめなんだなと。ブレスに限らず奏法というのは「こうしなければならない」ではなくて、自分がどういう音を出したいかがまずあって、そこから考えないと間違った方向に行く可能性があるように思います。学校の部活などでは先輩とか先生に「こうしなさい」と言われることが多いですが、どこかで自分の中で消化して自分のものを作り上げないといけない瞬間があると思います。僕の場合はそれが大学を出てからでした。


─ブレスの話で、例えばゆっくりの4拍子だとして、テンポに合わせて音を出す1拍前で吸うやり方と、ゆっくり4拍くらいかけて吸うやり方があると思いますが、どちらが良いと思いますか。

 場合によりますね。リハーサルで両方試してみて、うまくいった方を選ぶこともあります。でもどちらがうまくいくかはそのときになってみないとわからないですから、どちらのシチュエーションでもできるように複数のやり方を用意しておくようにします。
 でもそうやってあれこれ考えているのを人に見せないようにしないといけない。リハーサルの間中、隣の人がずっと考えていたら鬱陶しいじゃないですか(笑)。何事もさりげなくやりたいですが、それが難しい。何も考えていないようにニコニコしていて、実はしっかりとした裏付けがあるというのが、理想です。


─ところで、さっき新しい楽器を試奏したときに、1103という選択肢はなかったのですか。

 試奏はしましたが、やはり自分の中に強烈にあるイメージは103ということで、そこに迷いはありませんでした。周りの人が103だから自分も、というわけではないんですね。自分が103が良いと思うから選ぶという、単純な理由です。


熊井優

─今後の目標としては?
 下吹きとしては、誰が上を吹いても合わせられるように、自分の技術とか考え方を付けておかないといけないと思います。でも、それを考えないでできるということが究極の目標です。理論武装しているようではまだまだで、経験を積んでそれが自然にできるようになること。「なぜかよくわからないけれど、あの人と吹くとすごく吹きやすい」と言われるような奏者になりたいです。




「趣味」のコーナー

─ご趣味は?

 旅です。歴史的なものに興味があって、お寺とかお城とか、歴史上の人物の生誕の地とか、時間があるとよく出かけます。ひとつにはそういう「自分が生まれた国のことをよく知りたい」ということがありますが、もうひとつには凝り固まってしまった自分を元の状態に戻すために、海とか山とかを見て心を落ち着かせるということもあります。
 去年の年末は、博物館で調べたいことがあってソウルに行ってきました。いろいろなところで博物館にも行きますが、必ずラッパ類があるんですね。象牙で作られたものとか、兵隊が持っていたホルンとか。そういうのを見ると、自分がやっていることと世の中のつながりが感じられて面白いですよね。神奈川フィルの森雅彦さんも歴史好きなので、歴史の話で盛り上がってしまうことも多いですよ(笑)。


─お気に入りの場所などはありますか。

 地元ですが、鎌倉の鶴岡八幡宮はよく行きます。そこから稲村ヶ崎とか江の島の方に歩いて行くのが好きですね。歩いている間に考え方が消化されていったりします。もちろん健康にも良いし、リフレッシュしてまた日常に戻ることができます。食とか物には執着がないので、電車賃くらいでお金のかからない趣味ですね。道端に立っている古い石塔に感心して立ち止まったりとかしています(笑)。
 外国に行ったときに「日本のことを教えて」と言われることもあるので、日本のことをもっと知らないといけないなと思います。あとは、価値観の違うところにも行ってみたい。次はブータンに行こうと考えています。物の見方や考え方が全然違う人たちと話をしてみたいし、いずれは西洋の楽器であるホルンなど見たことがない人の前で演奏できたらいいなとも思っています。




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