アレキサンダーファン
2014年07月掲載
プロフィール
藤田麻理絵(ふじた・まりえ) 藤田麻理絵
(ふじた・まりえ)

武蔵野音楽大学卒業。同大学卒業演奏会、読売新人演奏会に出演。室内楽をK.ベルケシュ、R.ボボの各氏に、ホルンを小川正毅、山本真、阿部雅人、丸山勉の各氏に師事。
第1回日本ホルンコンクール第2位入賞。現在、新日本フィルハーモニー交響楽団ホルン奏者。

使用楽器:
アレキサンダー 103MBL

第42回 プレーヤーズ
藤田麻理絵 インタビュー

国内外のホルンプレーヤーにスポットを当て、インタビューや対談を掲載するコーナー。
ホルンについてはもちろん、趣味や休日の過ごし方など、
普段知ることの無いプレーヤーの私生活についてもお伝えします。



─藤田さんがホルンを始めたのは?

 中学校の吹奏楽部で始めましたが、入ったのは途中からです。トランペット希望でしたが人数の関係でホルンに、というありがちなパターンです。
 小学校でも吹奏楽部でサックスを吹いていたので、本当は最初から吹奏楽部に入りたかったのですが、練習の日数が多いために親から反対されてしまいました。当時ピアノなどの習い事もしていたので、そのために部活を休むようではみんなに迷惑をかけるから、と。それで活動日数の少ない文芸部に入っていましたが、楽器がやりたくて仕方がなくて、部活にも勉強にも身が入らず、しょっちゅう吹奏楽部に遊びに行っていました(笑)。それまでは一度入った部活は変えることができなかったのですが、私が2年生になる頃に転部が可能になったんです。そこでもう一度親に「やりたい」と言ったら、今度は許しが出ました。いざ吹奏楽部に入ったら成績もぐんと上がったので、結果としてよかったですね。


─今度はサックス希望ではなかったのですね。

 小学校のときサックスは後打ちばかりでメロディとかも吹かせてもらえず、あまり面白くなかったので、メロディがやりたくてトランペットを希望したのに、また後打ちの日々になって(笑)。でも小学校とはやる曲も違いますので、だんだん面白くなってきて、そこで初めて「サックスも良い楽器だったんだな」とわかりました(笑)。


─途中から始めて、追い付くのは大変ではなかったですか。

 出遅れていたことは確かですが、楽しくてずっと練習していました。金管を吹くのは初めてということもあって、どっぷりのめり込みましたね。人数が少なかったので、入って1か月もしないうちに合奏に出させられたりして、必死でした。


藤田麻理絵

─音大を目指そうと思ったのは?
 中学生の頃から思っていました。もともとピアノもやっていましたし、音楽はとにかく好きだったので、演奏家にはなれなくても、音楽の先生とか、音楽に携わる仕事がしたいというのはずっと考えていました。オーケストラの中で吹ける人になるためにはどうしたら良いのか全く分かりませんでしたが。
 ただ、私がいたのは中高一貫校だったので、先輩で音大に行った人もいたし、武蔵野音大出身のコーチがずっと来てくれていたので、そういう道があることは知っていました。最初「自分は下手すぎるから無理」と思って誰にも相談できずにいたのですが、中3で進路の話が出てきたときにコーチから「ホルンで音大を目指さないか」というお話があって、「本当はそれがやりたかったんです!」と言ったら、先生を紹介してくれたり、いろいろなバックアップをしてくださいました。両親はなかなか納得してもらえませんでしたが、何とか説得しました。

─レッスンを受けつつ部活もというのは大変だったと思いますが。
 結局、部活の方は高2の時に辞めてしまいました。学校の事情で部活の時間が制限されて練習があまりできなかったのと、高校3年生になると音大を目指すような子はみんな学生指揮になっていたのですが、そうなると楽器を吹く時間がまったく取れなくなってしまって。自分勝手だとは思ったのですが、「将来のために辞めさせてください」とお願いして、1年間は自分の練習に専念しました。




音の最後の最後まで意識を持って行く

─その甲斐あってめでたく武蔵野音大に入学したわけですが、どんな大学生活でしたか。

 かなり練習してましたね。特に1、2年生のときは寮生活だったので、朝から晩まで、本当にずーっと練習していました。1日のスケジュールを計算して、「朝はこのメニューを何時間やって」とか「この時間は授業がないからここでこのメニューを」とか考えてました。3、4年になるとオケとか吹奏楽とか合奏の授業がたくさん入って来るので、疲れてしまってなかなかできなくなってしまいましたけれど。それまで周りを知らなかったので「自分は絶対に足りないからやれるだけやるしかない」と思い、本なども見ながらがむしゃらに練習していました。


─ところで、学生時代に先生に言われて印象に残っていることはありますか。

 師匠である山本真先生に言われていたことは、「上から下までなるべくアンブシュアを変えないように吹く」ということでした。もちろん少しは変わるのですが、柔軟にしておいてなるべく変えないようにするということです。特に疲れているときなど、顎の動きがだんだん大きくなってきてしまうので、そうすると跳躍も難しくなってしまいます。先生のアンブシュアを見ていると、微動だにしないし、何の準備もなくプッと音が出てしまうので。


─その他に、楽器を吹くときにどんなことを強く意識していますか。

 常に「良い音」で吹くことを心掛けています。良い音が出ているときにはストレスのない吹き方をしているんだろうなと思って、わからなくなったときにはとにかく「良い音」が出るようにしますね。それから、「音の方向性」についてはどの先生にも注意されてきたのですが、自分では音の方向性を作っているつもりでもまだ足りないので、特に意識するようにしています。フレーズだけはなくて、例え一音でも「どこに向かっているのか」を意識するようにしています。


─ひとつの音で方向性はどうやって出すのですか?

 うーん、言葉にするのは難しいですね。音の最後の最後まで意識を持って行くということでしょうか。音を出したら出しっ放しではなく、音の伸びと、次の音にかかるところをどうするか。私はそこかな、と解釈しています。それに加えて、しっかりした呼吸をすることと、きちんとした姿勢を取ること。私は体幹がしっかりしていないし、気が付くと腹筋が全然使えていなかったりすることがあるのですが、そういうベースがしっかりすると、音の最後まで意識を使って行けることを実感しています。


藤田麻理絵

─リンクしているんですね。
 そうなんです。姿勢が悪くても音が出てしまうのですが、それが自分の調子を崩すことにもつながってしまうので、改めて見直すことで安定して吹けるような気がしています。ブレスのことも、オケで吹いているとソロと違って比較的どこでも取れるので、「音楽的なことを考えるとここでしっかり吸って吹いた方がいいかな」とだんだんブレスの回数も多くなってしまう傾向があります。ふと気づくと、吸わなくてもいいのに吸っていたりとか。




下吹きであっても「常に全部の音域を良い音で吹けるようにしたいと思っています」

─ところで、新日本フィルハーモニーでは下吹きですよね。

 ポジションとしては2、4番ですが、今は主に2番を吹いています。学生時代は、真先生にも「上吹きとか下吹きとか決めないで、上から下まで吹けるように練習しなさい」と言われていたので特に上とか下とか決めないでやっていました。もともと2ndに憧れていたのですが、大学時代は1stばかり吹いていました。ホルンアンサンブル“ヴィーナス”でも上や中音域を吹くことが多いです。そもそも常に低い音をバリバリと吹くのを目指しているわけでもなく−−もちろんそう吹きたい場面もありますが、下の音できちんと支えられて、上の音色も遜色なく吹けるということを常に気にしています。
 ときどき、音色を聴いて「この人は下吹きだな」とか、「この人は上ばかり吹いているな」とかわかることがありますが、そうならないように、常に全部を良い音で吹けるようにしたいと思っています。特に2ndは音域が広いので、よりそれを実感しています。


─藤田さんが新日本フィルのオーディションを受けたのは、大学を卒業してから?

 その直前ですね。4年生の1月でした。もう5年経ったことになります。


─もともとソロよりも、オケ志向だったのですか。

 断然そうです。オケと室内楽が大好きで、今は2nd吹きということで、良い音で吹くことに変わりはないのですがソロとは使い方が違うし、逆にソロのように吹いてはいけない部分も多いんです。ですが、ソロも吹ける体力が衰えないように機会があれば吹くようにしています。


─リサイタルを開くような予定はありませんか。

 今のところはないですね。大学の同級生たちとアンサンブルを組んでいて、その中にソロを取り入れたのが、久しぶりに自主企画でソロを吹いた演奏会でした。ピアノとクラリネットとホルンでライネッケのトリオを吹き、ソロではコフロニュの《ソナチネ》を演奏しました。そういうマイナー曲が私は好きなんです(笑)。この間もアニシモフの《ポエム》をオケバックで演奏したのですが、知っているのはホルンの人だけでした。


藤田麻理絵

─あと、演ってみたい曲はどのあたりですか。
 テレマンとかクヴァンツとかはチャレンジしたいなと思っています。あと、デュカスの《ヴィラネル》はどうしても演奏したいと思っています。すごい有名曲ですが、ピストンを使わない箇所と使う箇所を、指定されているところできちんと吹き分けて演奏してみたい。もともとあの曲は試験のために書かれているので、きちんとそれに則ってやりたいなと。あの曲は私の苦手分野が多くて、今まで避け続けてきたのですが、こっそり練習しようかなと思っています(笑)。自信が持てるようになったら、自分で機会を作って演奏してみたいですね。




楽器を替えることで自分の幅が広がるのではないかと思ってアレキサンダーに

藤田麻理絵

─藤田さんはいつからアレキサンダーを?
 大学4年生のときにアレキサンダーの103に買い替えて、それからずっとです。それまで別の楽器を吹いていて、大学に入ってからアレキサンダーを試奏したこともあったのですが、私に合わないと思っていました。でも苦手だったpとか、あとfの音色を何とかしようと思ってアレキサンダーを買いました。楽器を替えることで自分の幅が広がるのではないかと思って。シュテファン・ドールさんが選定した楽器があって、以来今まで同じ楽器を使っています。

─吹いてみていかがでしたか。
 試奏したときは「すごく吹きやすい」と思ったのですが、いざ自分のものとして吹いてみると、息の入れ方が全然違って悩みました。慣れるまでに1年くらいかかりました。でも私は気付いたらマウスピースもあまり替えずに来ていまして、一度使い始めるとしばらくは使おうと思うんです。他の楽器を試奏することもありましたが、「今はこれが一番吹きやすいし、別に替える必要はないかな」と思って今に至ってます。


藤田麻理絵

─最後に、藤田さんは今後どうありたいと思っていますか。
 ホルニストというよりは、音楽家であろうと思います。オーケストラの中で吹く時は下吹きとしての役割を考えて演奏し、室内楽ではその時の編成に合わせた吹き方、ソロでは自分自身の音楽性を出せるように……。その時の状況に応じて吹き方を考えますが、どの状況でも一貫して意識していることは常に良い音楽をしたいということです。また演奏技術だけではなく、曲、作曲家の前後の時代背景や音楽、歴史的なことや、時代によっては楽器の変遷についても学び、根拠をもって音を出したい、演奏したいなと思っています。どちらも当たり前のことかもしれませんが、オーケストラは特に次から次へと新しい曲が来るので演奏するだけで手一杯になってしまう時もあります。なるべくそうならないよう、ホルニストとして演奏するだけではなくて音楽のみならず、他の色々な分野も含めて深く勉強した音楽家になりたいと思います。




「趣味」のコーナー

─新日本フィルの拠点であるすみだトリフォニーホールがある錦糸町で、お薦めのお店を教えていただけますか。

 ラーメンが好きなんです。錦糸町はラーメン屋さんがたくさんあって、どこもおいしいですが、今は錦糸町駅北口を出てわりとすぐのところにある、「一途」というラーメン屋さんにハマッてます。私はつけ麺派なので、ゆずつけ麺とか鳥塩つけ麺とかをいつも食べてます。


─音楽以外の趣味は?

 趣味というのかどうかわかりませんが、とにかく猫が大好きなんです。昔は飼っていたのですが今はいないので、癒しを求めて猫の画像とか動画とか、ちょっと気持ち悪いくらいに見てます(笑)。見始めると止まらないんですよ。


藤田麻理絵

─楽器ケースのヒョウ柄も猫科ということで?
 そういうわけでもないのですが(笑)、この形のケースが欲しいと思っていたら、楽器屋さんから「こういう柄のケースが入って来たよ」と写真を送ってもらって、ひとめぼれしてすぐ買いに行きました。

─では、お休みの日はどんなことをしています?
 基本的に家事ですね(笑)。洗濯して掃除して、ゆっくり寝て、買い物して。あ、あと温泉は好きです。車の免許があるわけではないのでふらっと行くことはないのですが、どこかに旅行に行くときには、必ず温泉があるところにしますね。温泉にゆっくりと浸かりたいですね〜。




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