アレキサンダーファン
2011年12月掲載
プロフィール
中西順(なかにし・じゅん) 中西順
(なかにし・じゅん)

兵庫県川辺郡猪名川町出身。1990年大阪音楽大学卒業。翌年4月ドイツ国立アーヘン音楽大学入学。在学中、Aahener Kammer Orchester(アーヘン室内オーケストラ)、ヘリコン管楽アンサンブル、アーヘン・ユンゲス・シンフォニーオーケストラのメンバーとしてドイツ、オランダの各地で演奏会を行なう。1994年帰国。現在、大阪交響楽団ホルン奏者、ドライ ヴィンダー、NDNホルンアンサンブル、ザ・リアルブラス、メンバー。ホルンを三宅知次、西田末勝、R.アルメイダ、E.ヘルルンクに師事。

使用楽器:
 アレキサンダー 103MBL
使用マウスピース:
 ティルツ マックウィリアム1

第35回 プレーヤーズ
中西順 インタビュー

国内外のホルンプレーヤーにスポットを当て、インタビューや対談を掲載するコーナー。
ホルンについてはもちろん、趣味や休日の過ごし方など、
普段知ることの無いプレーヤーの私生活についてもお伝えします。


─ホルンを吹き始めたのは?

 高校からなんです。中学生のときは野球をやっていて、クラシックは全然知らなかったのですが音楽は好きでした。その頃ナベサダ(渡辺貞夫)とかスクエアとかが流行っていたこともあってサックスに興味を持ち、やってみたかったのですが学校に吹奏楽部はありませんでした。でも一応“楽器庫”はあって、備品のサックスがあるのは知っていたので、忍び込んで吹いていました。リードは、プラスチックの下敷きを切って作っていました(笑)。
 高校では本当はバンドでサックスが吹きたかったんです。吹奏楽部に所属すれば楽器を借りてバンドができるのではないかと考えたのですが、じゃんけんで負けてしまって、トロンボーンの先輩に「おまえはこれや」と渡されたのがホルンでした。このとき初めてホルンという楽器を見ましたね。
 当てが外れてがっかりではあったのですが、ホルンの先輩もいないし、一緒に入った女の子が可愛かったこともあって、「ホルンがんばろう」と(笑)。最初は楽譜も読めなかったので、リズムなどその女の子の真似をしてました。


中西順

─しかし、その状態からよく音大に入りましたね。

 それが、高校3年生の6月ごろから急にホルンをもっとがんばりたくなったんです。すでに面白くなってきていたので、「これをもっとやっていくと、すごい世界があるのかな」と思ったし、親戚のおじさんの「ひとつのことを突き詰めて行ったら、絶対に何かがある」という言葉が心に残って、音大に行こうと決意しました。
 親は最初大反対でしたけれど、母は「将来、音楽の先生になるんやったら」と。父は「最後まできちんとできるんやったら、行かせてやる」ということで、納得してくれました。でも、何も準備をしていなかったので、やはり一浪しないと入れませんでしたが。


─ホルンのレッスンなどはどうされていたのですか。

 ある音楽教室に通ったのですが、そこでレッスンをしていただいたのが西田(末勝)先生でした。厳しいし、とにかく怖くて、途中で逃げ出してしまったんです。今となっては、それだけ本気でレッスンしてくださっていたということがわかりますが。


─音大に入って、いかがでしたか。

 いざ音大に入ってみたら、みんな上手くて「どうしよう」と思いましたが、音色に関しては自分は大丈夫だと思ったので、他をがんばろうと。
 でも、楽譜もそれほど読める方ではないし、先輩にアンサンブルに誘われたりするとちょっと怖かったですね。それもあってか、周りの人の音ばかり気にしてしまって、自分が吹けなくなってしまうんです。上手な先輩が多くて聴き惚れてしまうというのもありました。大フィルの池田(重一)さんとか、関西フィルの松田(信洋)さん、大阪市音の長谷(行康)さんなどが上の学年にいましたから。ぼーっとして「何してんねん!」とよく怒られました。でもそれで気づきました。「自分がしっかりして初めて合わせるということができる」とね。


中西順



「バウマンは2人いらない。お前はお前だ」

─大学を卒業して、ドイツ・アーヘンに留学された。

 僕は卒業した時点でも同級生に比べて下手だったので「これではあかんわ」と思ったときに、今考えると恥ずかしいのですが、高校の卒業アルバムに「世界に羽ばたくようなホルン吹きになりたい」と書いたのを思い出して。ちょうど当時アーヘナー・ホルンカルテットの長男である池田さんが行ってらしたので、帰国されたときに相談してみたら「とりあえず行け。向こうの空気を吸って、向こうの生活に馴染んでみたらどうや」と。


─ドイツに行ってみてどうでした?

 言葉がよくわからなかったので、まずコンサートに行こうと思ってドヴォルザークの「新世界」を聴いたときに、当たり前ですが「日本で聴いたのと一緒だ」と思って、でも「これなら大丈夫だ」と勇気が湧いて来ました。


中西順

─アーヘンではどんなレッスンが待っていたのですか。
 最初に付いた先生がリカルド・アルメイダというキューバ人でした。アルメイダ先生は小学生の頃にアメリカに亡命して、大学でアメリカンフットボールのハーフタイムでホルンを吹くことになり、それから大学でジョン・バロウズにホルンを習い、さらにヨーロッパに渡って勉強を続けた人なんです。でもノリはラテン系で、上手にできたときは「ワオッ!」という感じでしたね。
 あるとき僕がいろいろ悩んで、ホルンの練習をする気がなくなっていたときに、レッスンでパーッと本を投げ捨てて、「よし、お茶にしよう」と。そこで僕が「バウマンのような音が出したいと思うのだけれど、どうしても出せない。そう考えたらホルンが吹けなくなってしまった」と言ったら「バウマンは2人いらない。お前はお前だ」と。「考えすぎないで、とりあえず吹け」と言われて脱出できました。


─いい話ですね。

 基本的にはリズムと音程にすごくうるさい先生でしたので、それをクリアしないで帰ってきたのが残念です(笑)。「リズムと音程さえしっかりしていれば、その先は見えてくるから」と言われていたのですが、最近になってちょっとそれがわかるようになりました。
 実はそのことをずっと忘れていたのですが、池田さんに「リカルドこんなこと言ってなかったか」と言われて、「そうやわ!」と。そうしたら実際に演奏が変わりました。ずっとやっているうちに少しずつ焦点がぶれて来ることがあるのですが、それをアーヘナーのメンバーに気づかせてもらうことが多いですね。
 小椋(順二)君とも飲んで話したりしている中で、リップスラーとかアンブシュアの変わり目の話題になって、次の日に試してみると「なるほど」ということもあります澤嶋(秀昌)君などは思いきりが良いので、音を聴いていると気持ちが楽になりますし、彼のように生きて行けたらいいなと思いますよね。


中西順

─お話をうかがうと、アーヘナー・ホルンカルテットはメンバーがお互いに良い影響を与え合っているようですね。
 アンサンブルというのは結局、楽器同士というよりも人と人とのアンサンブルですからね。4人とも別の地域で別のオケに所属していますから、練習時間やコンサートの日を決めるのも大変ですが、大阪音大、そしてアーヘンでの経験という共通点があるから、ぱっと集まっても違和感なくアンサンブルができるのだと思います。



103の“強さ”に惹かれる

─ところで、大阪交響楽団(当時の大阪シンフォニカー)にはいつから?

 1998年からです。実は楽団の名前が2回変わっているんですよ。大阪シンフォニカーから大阪シンフォニカー交響楽団になって、でもドイツ語ではシンフォニカーが「交響楽団」という意味になるからおかしいと、2010年に創立30周年を機に現在の大阪交響楽団になりました。


─オケではどういうポジションを吹かれているのでしょうか。

 今は4番を吹くことが多いです。しかしいまだに、「上の方が自分のやりたいことができるのかな、でも技術的に無理かな」とかいろいろ考えることがあります。僕はそういうふうにときどき考えすぎてしまうときがあって、そうすると楽器も反応してくれない。それで道具に走ってしまい、楽器を替えてみたりもしました。
 そうやってちょっと違う方向に走り出したときにアーヘナーの演奏会があると、メンバーに「それはないで」とはっきり言われてしまう。次の練習のときに再び103を持って行くと、「ほら、それやろ」と。そういうことが何回もありました。


中西順

─では、アレキサンダーを最初に使い始めたのは?

 大学に入るのを機に、103を買ってもらいました。最初に吹いたときに「これはすごいわ」と思ったのを覚えています。以来、さっきお話したような時期以外は基本的に103を吹いています。大響に入って下吹きになったときに1103を使っていたこともありましたが、「やっぱり103かな」と思って。


─どういう点でそう感じられたのでしょう。

 103て、“強い”んですよ。音色がそう感じさせるのでしょうが、そこに惹かれるんです。だからこそ、ときどきその強さに自分が負けてしまうことがあるのですが、結局戻って来てしまう。そういう強さなんです。
 アーヘナー・ホルンカルテットでは4人とも103を使っていますが、アーヘンで先生が使っていたのはメーニッヒなんです。でもみんなメーニッヒに替えるのではなく、103の良さと自分の個性をうまく融合させているのでしょう。何しろ、同じ103とは言っても、まるで違う音色をしていますから。


─そこがまたいいところなんでしょうね。

 ある人が1人多重録音をしたときに、「自分のやりたいことは全部できる。でも音色が同じなので面白くない」と言っていましたが、まさにそういうことなのだと思います。


中西順

─今お使いの103は?
 黄色のラッカーでベルカットです。ベルだけ赤にしてみたりもしましたが、どうもその部分で段差が付くような感覚があって、元に戻しました。いろいろといじるのが好きなので、以前の楽器では支柱を取ったりとかしてみたことがありましたが、誰かが「103というのは計算し尽くされているから元のままが一番」と言っていたように、買ったままがいいのかなと思って、今の楽器は小指かけの位置を調整した以外はいじってません。
 最近は、ワンピースがいいかなと思うようになってきました。息を入れたときに、ベルの先までストレスなく響いてくれるような感じがあって。


─さて今後、どんなことをしてみたいですか。

 まず、ホルンが上手になりたいですね。この103で自分が思っている通りに吹けたらどんなに楽しいんやろ、どんな世界が待ってんのやろ、というのはあります。なので、今更ながら基礎をちゃんとしないといけないと思っています。
 これまでもしかするとごまかしていたような部分が、自分がやりたことが鮮明になったときに、できていなかったことがたくさんあることに気づいた、ということですね。例を挙げればレガートとか本当に難しいですね。




「趣味」のコーナー

─では、ホルン以外のところで、ご趣味は?

 車ですね。昔のミニをいじって、年に1回は走行会でサーキットを走っています。子どもが小さいので普段は別の車に乗っていますが、走行会の前は徹夜でエンジンを下ろしたりしてメンテナンスします。


─休みの日はどんなことをしてますか。

 やはり車をちょこちょこいじってます(笑)。あとは、家のリフォーム、和室を洋間にしたりとか、フローリングを貼り直したりとか。そういうふうにちょこちょこ直すのが好きなんですね。



取材協力:ドルチェ楽器(大阪)
取材協力:ドルチェ楽器(大阪)


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