アレキサンダーファン
2008年10月掲載
プロフィール
野々口義典(ののぐち・よしのり) 野々口義典
(ののぐち・よしのり)
滋賀県大津市生まれ。12歳よりホルンを始める。'74年滋賀県立石山高等学校普通科を卒業し、同年京都市立芸術大学音楽学部器楽学科に入学。'77年在学中にR.シュトラウス作曲ホルン協奏曲第1番を同大学第38回定期演奏会で、J.S.バッハ作曲ブランデンブルク協奏曲第1番を大阪テレマンアンサンブルで、それぞれ共演。'78年同大学を首席で卒業と同時に名古屋フィルハーモニー交響楽団入団。現在に至る。いずみシンフォニエッタ・Golden Brass Quintet・京都ファインアーツブラスに参加。名古屋芸術大学非常勤講師。
京都音楽協会賞、関西新人賞、読売新人賞の各賞を受賞。大津にてクラリネットの若代孝三氏とジョイントリサイタルを開催するほか、多数ソロ活動を行なう。'91年アフィニス文化財団主催のプロオーケストラプレイヤー対象夏期セミナー参加。'92年12月、'94年9月、'96年11月と名古屋でリサイタルを開催。
藤原靖彦、真下惇至、ユーベルト・ブラーデルの各氏に師事。
使用楽器:アレキサンダー 301MBL、103MBL、107G
第31回 プレーヤーズ
野々口義典 インタビュー

国内外のホルンプレーヤーにスポットを当て、インタビューや対談を掲載するコーナー。
ホルンについてはもちろん、趣味や休日の過ごし方など、
普段知ることの無いプレーヤーの私生活についてもお伝えします。

─ホルンを始めたのはいつから?
 よくあるパターンですが、中学の時からです。たまたま入学式の日にクラスに勧誘に来たのが、吹奏楽部だけだったんです。それで何となく、ふらふらっと行ってみたのですが、いきなり楽器を「はいっ」と渡されてね。それがユーフォニアムでした。それを30分くらい吹かせてもらったあとでなぜか今度はメロフォンを渡されて、結局メロフォンをやることになりました。理由はまったくわかりません。希望も選択肢もなしでした(笑)。


─そのメロフォンはいつまで吹いたのですか。
 当時3年生が部に1本だけあるフレンチホルンを吹いていました。Fシングルの、ニッカンのピストンでした。それも古いモデルで、メインのチューニング管がウィンナホルン風に丸くなっているやつ。そういう時代です(笑)。その楽器を、3年生が引退するときに初めて吹かせてもらったのですが、しびれましたね。倍音が1オクターブ違う、その鳴り方の違いに、子供心に感動していました。
 それがいけなかったんですね(笑)。すぐに親に頼み込んでお金を借りて、ニッカンの新型のホルンを買いました。Ebの替管付きのFシングルでした。
 ちなみに借りたお金はちゃんと返しましたよ。小遣いをその分減らしてもらってね。

野々口義典

─しかし、自分の楽器というのはやはり嬉しかったのでは。
 そうですね。部活が休みの日も友達とどこかに行って練習してました。
 しかし、高校に行ったら人数が8人くらいしかいない部活で、「何かつまらんなあ」と思って、バドミントン部に入りました。
 結局ホルンは、地元(大津)のオーケストラと吹奏楽団に入って続けることにしました。吹奏楽でもオーケストラのアレンジものばかりやっていましたから、結局クラシックづけでした。
 高校2年生になったときに、学校の吹奏楽部を立て直してやろうという気持ちで、再び入部しました。結局人数は最大13人でしたが、コーラス部と助け合いながらなんとかやっていました。


─クラシックは昔からよく聴いていたのですか。

 レコードはお金がなくて買えなかったので、もっぱらラジオで聴いていました。その頃からベルリンフィルとかウィーンフィルのオタクでしたね(笑)。
 スコアもよく買っていました。初めて買ったスコアがチャイコフスキーの交響曲第5番で、そのあとベートーヴェンの7番、『悲愴』の順でした。最後には『春の祭典』まで揃えてね。『春祭』は大好きで、振れるくらいまで聴き込んでいました。
 後の話ですが、大学1年のときに京響にエキストラで呼ばれたときがなんと『春祭』だったんですよ。指揮は山田一雄先生。ほとんど覚えているくらいの曲なのでパーフェクトに吹けて、えらい褒められた記憶があります。おかげでその後も京響には何度も呼んでいただきました。


野々口義典

─音大に行こうと思ったのはどんなときですか。

 吹奏楽部の同級生が音大に行くというのを聞いて、「そういう選択肢もあるな」と気づき、先輩に相談してみたりして、受験してみようと決めました。それが高校3年生の夏休み前(笑)。
 音楽経験はホルンだけ。ピアノもソルフェージュも何もやったことがなかったので、ピアノは買ってもらって先生に付いて習い、ソルフェージュは先輩に習いました。その代わり毎日ですよ。おかげさまで現役で合格できました。当時はそれを苦と思わず、楽しかったですね。学校でホルンを8時まで吹いて、帰ってからピアノ練習とか自分で聴音の練習をしたりとか。そのときは近所に「受験まですみません」とお願いしてね。
 ちなみにホルンは受験前は京都市交響楽団(当時)の藤原(靖彦)先生に習っていたのですが、受験が決まってからは真下(惇至)先生を紹介してもらいました。



─めでたく現役合格ですね。大学では、かなり練習しましたか。
 それはもう毎日吹いていました。あと、宿直の学生アルバイトがあって――これはもう言っていいかな――宿直の人は夜、校内で楽器を吹くのを黙認されていたんです。収入と練習と一石二鳥になるのでよくやっていました。宿直じゃないときでも終電くらいまで練習したりとか。それ以上によく飲んでいましたけれどね(笑)。


─大学を卒業するのと名古屋フィルハーモニー交響楽団(名フィル)に入団するのが同時だったということですが。
 12月ごろ、そろそろオーディションを受けてみようかなと思ったときに最初にあったのが名フィルで、それまでもエキストラに呼んでいただいたことがあったので気楽に受けに行ったら、受かってしまった。それまで何にも考えていなかったんですけれど、自分の中にはずっとオーケストラしかありませんでしたから、オケに入るのは自然な流れだったと思います。


─それにしても、名フィルはもう長いですね。
 今年で31年目です。勤続30年の表彰を受けました。
 現在、首席奏者という名前が付いていますが、いつも1番を吹くということではなく、主に1番ですが上のパート全般を吹きます。今、首席が2人いますので、定期演奏会はひと月ごとに単純に交代してトップを吹くことにしています。曲の好みによってやる、やらんというのはよくないですからね。


─名フィルのホルンセクションでは、どんな楽器が使われているんですか。
 ホルンセクション6人中4人がアレキサンダーを使っていますが、いい出来の録音を聴くと、アレキサンダーが大好きなだなーとつくづく思います(笑)。


─今、野々口さんご自身はどんな楽器を使っています?

 アレキサンダーを3機種持っています。301と103、107です。その107というのは40年くらい前の楽器で、名古屋の人に言えばすぐわかるのですが、コメ兵(何店舗ものビルを持つ大型質屋)にあったのを思わず買ってしまいました。マウスパイプがちぎれていて、大きな凹みがあって、ベルの状態はよかったですがそれで40万円ですから、あまり安くなかったですね。
 でも自分が初めて買ったアレキサンダーと同じ年代の楽器だったので、持っていてもいいと思って買い、知り合いのリペアマンに「いつでもいいから」と言って預けて、3年がかりで直してもらいました。

野々口義典


─ところで、最初に買ったアレキサンダーというのは?

 大学2年生のときに、心斎橋のヤマハで、格安処分になっていた104を半額で買いました。これもまた親に頼み込んで借金してね(笑)。これも全部返してますよ。宿直のアルバイトのおかげでね。



─104というと、ゲシュトップキー付きの103ですよね。珍しい。
 ワンピースでノーラッカーの赤ベルです。それで名フィルに入ったのですが、どうもピッチが合わない。結局それで他の楽器に買い換えました。
 今まで一番長く使ったのは、アレキサンダーの200周年記念モデルですね。ワンピースのクランツ付きの金メッキです。それを続けて2台、延べ12〜3年使いました。その次が、シリアル17000番台の103。


─ここでやっと103に行った。
 103てアレキサンダーの中心機種で、皆さん使っていますよね。どうしてだろうと考えたのですが、明るくて、芯があって、よく通るでかい音がする。この「でかい音」というのが現代のオーケストラでは重要なんです。それに比べると200は音が少し細い。見た目はすごく好きなんですけれど。なんやかんやで、結局103ですね。


─使ってみていかがですか。
 誰かも言っていましたが、本人のコンディションをすごく反映するんです。だから吹き手さえ調子がよければ、どこまででも反応してくれる。天井知らずですよ。その代わり、自分の調子が悪いと、うんともすんとも言わない。
 それはともかくとしても、やはり鳴りのよさは魅力ですよね。F管のffのサウンドをBb管で出せるというところが、一番好きなところですね。基本的にウィーンフィルの明るくて、骨太なサウンドをイメージしているのですが、そういう音色を出してくれるのはアレキサンダーしかない。まあ、ウィンナホルンは別世界の楽器ですから(笑)。


─301はいつごろからお使いなんですか。
 3年前、発売直後に買いました。日本に入ったほぼ最初の3本から選ばせてもらえたのがラッキーでした。
 この楽器は大活躍してくれています。ハイF管は欲しいのですが、ディスカントは指使いがダブルと同じにできないので、僕はだめなんです。だからやっぱりトリプルが一番便利ですね。ディスカントの107はソロで使うにはいいと思うので、今度はソロデビューしてもらおうかと思っていますが。
 これまでもトリプルは使っていたのですが、僕の中では操作性が今ひとつだと感じていたのと、メインのチューニングをマウスパイプ先端で行なうということに抵抗がありました。301はそのあたりがクリアされているのと、基本が103ということで違和感がないのがいいですね。
 現在、オーケストラではほぼ301を使っています。Bb管の鳴りでは103にかなわないのですが、103より重い分、他の楽器との相性も中庸な感じで行けるんですよ。楽器の重さには慣れました。フリッパーもなしでやっています。

ホルン

─まだ新しい楽器なのに、かなり使い込まれているんですね。

 新し物好きなんですよ。そういえば、以前、アレキサンダーのユニバーサルホルンも買ったことがありますよ。基本はダブルホルンですがマウスパイプが2本あり、上昇管を小指で操作します。それと抜き差し管を替えることであらゆる調が演奏できるというもので、膨大な量の替管がありました。しかし、帰って調べてみたら、どうも足りない管があるということがわかって、後で送ってもらいました。
 でも、結局使えませんでしたね(笑)。



─ところで、名古屋芸術大学をはじめいろいろなところで教える機会が多いと思いますが、一番気を付けるように言うことは何ですか。

 これは企業秘密なんですけれど(笑)、みんな意外に気にしないのが口の中の形です。「シラブル」と言いますが、舌の奥を上げることで高音をきれいに出すことができるんです。これをしないで、舌の先が上がったり、必要以上に唇を締めたりすると、いい音にならない。これはいつも言っていますが、なかなかできない人が多いです。
 僕はその人の音を聴けばだいたい口の中がどうなっているかわかりますから、「シラブル」についてアドバイスすれば、がらっと変わりますよ。特に中学生は変わりますね。大学生はなかなか変わらない(笑)。
 これは奏法というよりも作法ですね。



一問一答コーナー

─では、ホルン以外のことをうかがいますが、まず趣味と言えば……。
 酒を飲むこと……だったのですが、最近弱くなってしまったので、仕事の前は控えるようにしています。以前はビールの大瓶5本とか、日本酒の4合瓶で晩酌したりしていましたが、それもできなくなりました。

─一番お好きなのはどんなお酒ですか。
 焼酎なら鹿児島の萬膳、日本酒では小左衛門という岐阜県瑞浪のお酒が好きですね。基本的に愛知のお酒は好きですね。ちょっと甘めで。ドイツワインが好きなので、やはり甘みのあるお酒が好きなんですね。

野々口義典

─休みの日はどんなことをしていますか。
 最近は、練習しかないですねえ。でもそんなにみっちりやるわけではありませんけれど。
 次の日が休みというと、まずお酒を飲みますよね。そうすると次の日の午前中は使えないし、家の用事をしてからホルンを吹こうかなと。

─スポーツとかはされますか。
 今はできないでいるのですが、スキーはします。3年くらい前までは年間10日くらい行っていました。休みがあれば日帰りでも、1人でも行っていました。最近はコンディションを保つのに休みの日も練習していないといけなくなってきましたので、やっぱり歳ですかね(笑)。まあ、昔は今ほど過密なスケジュールでもありませんでしたからね。ゆっくり遊びにも行けました。

当コーナーの情報はそれぞれ掲載時のものです。
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