アレキサンダーファン
2016年11月掲載
第68回 アレキファン的「ホルンの“ホ”」
The BOSS MUSIC Episode X 伊藤泰世へのオマージュ ホルンで紡ぐ、未来への光と愛


 「伊藤泰世へのオマージュ ホルンで紡ぐ、未来への光と愛」と題された演奏会が2016年10月16日、東京・紀尾井ホールにて行なわれた。これは“BOSS”ことホルン奏者の伊藤泰世氏没後10年を記念して、ゆかりのある人々の手によって開かれたメモリアルコンサートであり、ステージには生前伊藤氏の愛器であったアレキサンダー103MBLも飾られていた。また、ステージ背後にかけられた布はイニシアルの「Y」を表していると説明されたが、その影がまるでフェニックス〈不死鳥〉のように見えたのは筆者だけではないだろう。
 伊藤泰世氏(1943-2006)は東京都交響楽団の創立時からのメンバーであり、定年まで在籍。また武蔵野音楽大学でも教鞭を執り、その卒業生のみならず、教えを受け、現在第一線で活躍しているホルン奏者は数多い。また、日本ホルン協会の設立に尽力したり(初代会長を務める)、音大生による学校の枠を越えた「ホルン友の会」の設立など、ホルンを吹く人同士のつながりをとても大事にし、日本のホルン界全体のことを見据えて活動した人でもあった。
 ちなみにThe BOSS MUSICとは、現在活躍中の女性だけのホルンアンサンブル“ヴィーナス”などを含む、伊藤氏の手がけたプロジェクトを指し、くしくもこのメモリアルコンサートがその第10弾に数えられるのだそうだ。

 

 



武蔵野音大の伊藤門下、ホルン友の会、ボスキャンプ

 プログラムにも「豪華! ホルンアンサンブルの饗宴!!」とあるように、このコンサートでは伊藤泰世氏に縁のある人々による、様々なアンサンブルが披露された。そしてそれらすべてが、ある意味で「伊藤氏が遺したもの」と言える。
 冒頭、礼服、ドレス、アロハシャツ、雅楽装束などさまざまな服装に身を包んだ、出演者選抜メンバーによる、木原英土(本人もホルン奏者)作曲の《英雄の愛と生涯に捧げるファンファーレ》(作品1!)の演奏で幕を開けた。そのタイトルから想像されるようにR.シュトラウスの《英雄の生涯》のモチーフをメインに使いつつ、ホルン協奏曲の一部なども交えて伊藤氏に捧げるファンファーレとしたものだ。
 1組目は「武蔵野音楽大学伊藤先生門下アンサンブル」から、まず丸山勉氏(日フィル)がトップを務める四重奏で《カヴァティーナ》(マイヤース作曲)を演奏。先生への思いをたっぷりと込めた、美しくもどこかもの悲しさを感じさせるメロディが耳に残る。プレスティ《8本のホルンのための組曲》は今や日本のホルンアンサンブルでは主要なレパートリーとなっているが、もともとは伊藤氏がロサンゼルス・ホルンクラブの演奏に感銘を受けて楽譜を取り寄せ、日本に紹介したもの。まさに“ホルンらしい”格好よさ、美しさ、親しみやすさにあふれた曲で、演奏者は久しぶりに一緒に吹くという人も多かったかもしれないが、同じ門下ということもあり、全員が同じ方向を向いていると感じさせるアンサンブルを聴かせてくれた。なお、このグループは全員、生前伊藤氏が好んで着たというアロハシャツに身を包んでいた。

 

 


 

 2団体目の「ホルン友の会」は前述のように、首都圏を中心とした音大生、卒業生の学校を越えた交流のために伊藤氏が提唱して作られたもの。この日も武蔵野音大、東京藝大、昭和音大、洗足学園と普段は別々の学校で学んでいる大学生による演奏で外山雄三《6本のホルンのための"パッサ・テンポ"》。この曲は故・千葉馨氏の依頼で作曲され、伊藤氏も所属していた東京ホルンクラブにより初演された。タイトルは「過ぎ去った時間」というような意味を持ち、曲調もどこか旧き良き時代を感じさせるもの。音大生による演奏はとても真面目で、丁寧な仕上げが好ましいが、ここに“音楽の生命力”のようなものが加わると、この日聴くことができた諸先輩方の演奏により近づけるように思えた。


 次は「The Boss Camp」。ボスキャンプは講師陣が伊藤氏の遺志を継ぎ、氏の愛した札幌で毎年行なわれており、今では参加者は60人に上るという。まずはキャンプの参加者によるシュティーグラー《聖フーベルト・ミサ》よりが演奏され、続いて講師陣(阿部雅人、折笠和樹、西條貴人、島方晴康、丸山勉の各氏)によるモーツァルト《ホルン五重奏》。本来はホルンと弦楽四重奏のための曲であり、ソロ的に扱われる本来のホルンパートを西條氏が吹いた。決して音を荒げるほどのフォルテは出さないが、その中でのグラデーションの濃密さが見事で、むしろ弱音の表情の豊かさに思わず引き込まれる。ソロを執った西條氏も素晴らしかったが、弦楽器パートをリードした丸山氏の、ホルンを感じさせない滑らかな表現も強く印象に残った。

 

 



雅楽とホルンのコラボも。最後は“ヴィーナス”

 休憩が明けると、ステージには雅楽の舞台が出現していた。宮内庁式部職楽部有志によって結成された「十二音会」から、大窪康夫氏(龍笛)、大窪永尾氏(篳篥)、大窪貞夫氏(笙)が参加。しかもそこに雅楽の衣装をまとった丸山氏がホルンを持って加わる。曲は朗詠《嘉辰》〜《青海波》。《嘉辰(かしん)》は本来、雅楽の伴奏を伴う朗誦(唄)だが、この日はなんとホルンとともに演奏。唄と同じメロディをわずかに異なるタイミングと節回しでなぞっていくのは丸山氏にとって慣れないことだとは思ったが、とても新しい試みでありながら、まったく違和感を覚えさせないどころか、ほれぼれと聴き入ってしまうほど魅力的な音楽になっていたのはさすが。続いて大窪康夫氏が龍笛に持ち替えて雅楽の三管合奏による《青海波》が始まると、会場の空気がまた一変した。ホルンアンサンブルとは脳の異なる部分で聴いているような感覚もあり、しかしどこか共通する響きのようなものを感じることもあり、不思議な気分だった。
 ところで「なぜ雅楽?」というのはもっともな疑問だ。実は宮内庁式部職楽部は雅楽を演奏するのだが、同じメンバーが時にはオーケストラの演奏もする。大窪康夫氏はオケではホルンを吹き、伊藤氏に師事したというご縁だそうだ。ちなみにあと2人の「大窪」氏は彼の父と弟とのこと。

 

 


 

 ラストは現在活躍中の女性ホルンアンサンブル、「Cor Ensemble VENUS」。もともと伊藤氏が「これからもっと女性ホルン奏者が活躍する時代になる」と考えて企画したものだったが、結成を待たずして氏が逝去されてしまったため、その遺志を継いだ丸山氏や西條氏、久永重明氏(読響)などにより4人のメンバーが選抜されて活動開始したのが2006年のこと。現在ではメンバーが8名になり、4月に行なわれた3rdコンサートのときは留学中だった藤田麻理絵氏も復帰して、まずテーマ曲である小林健太郎作曲《The Brilliant VENUS〜輝ける明けの明星》八重奏版を演奏。続いての《オペラの中のヒロインたち》(大橋晃一編曲)は、前半はプッチーニの作品から、後半は《カルメン》からオペラのヒロインのアリアや有名な旋律などを盛り込んだもの。グループとしてコンスタントな活動を続けているだけに息もぴったりであり、「女性だけの」という謳い文句を抜きにしても実力派ぞろいのヴィーナス。見事なアンサンブルを聴かせ、オペラの中の珠玉のアリアを各ヒロインが朗々と歌い上げたのだった。


 

 最後は、今や全体合奏と言えば恒例になっているベートーヴェンの《自然における神々の栄光》。この曲も元はと言えば伊藤氏が関わったフェスティバルなどで最後に演奏されていたものだが、この日も出演者全員と楽器を持参した聴衆も交えての大合奏で、舞台と客席が一体となってホルンの響きに包まれたのだった。



文:アレキサンダーファン編集部 今泉晃一


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