▼NHK交響楽団ホルン奏者福川伸陽さんによる2枚目のソロアルバムで、テーマは「日本」。しかも2枚組という、(ベスト盤を除く)ホルンソロのアルバムとしては例を見ない大ボリュームだ。「ホルンでめぐる、にっぽん音楽温故知新」がサブタイトルとなっており、「温故〜ホルンで綴る日本の古き良き名曲集〜」と題されたディスク1と、「知新〜ホルンのために生まれた、日本人作曲家の新しい声」と題されたディスク2では根底に一貫したものを持ちつつ、印象としてはかなり異なるのが面白い。2枚合わせると、福川氏の伸びやかで柔らかな音色と豊かな歌心、そして聴いていて恐ろしくなるくらいの領域にまで踏み込む表現力の幅の広さと類稀なテクニックを堪能できるアルバムになっている。
▼もうひとつの大きな話題は使用楽器。パックスマンの20Mやシュミットのトリプルも曲によっては使っているが、メインはアレキサンダー1103MBLHG、それも木製のベルを取り付けたものだ。「木のベルが作れないだろうか」と思い、作れる人を探していたら自身も金管楽器を吹くという宮大工(神社仏閣の建築や補修に携わる)に行き当たり、桜の木による朱塗りのベルが完成した。金属のベルに比べると厚みも重量もあり、またフレアの形状もオリジナルとは違っているため(接続部分にも段差がある)、吹奏感や音程感なども変化しているそうだが、何よりもその太く柔らかな音色は、もともと福川氏自身の持っているサウンドと相俟って得も言われぬものになっている。
▼ディスク1は「日本の歌」。しかし意外なことに、新しくアレンジされたものは少ない。そのひとつが1曲目《新日本紀行》のオープニングテーマだ。「日本」を想起させる曲として思い浮かんだのがという。重ね録りによる1人二重奏も取り入れられている。
▼外山雄三《管弦楽のためのラプソディ》はN響の海外公演でも定番曲となっているそうで、「ぜひ収録したかった」のだとか。編曲はなんと作曲者自らが手がけている。編曲の許可を打診したら「それなら俺がやる!」と言ったとか言わないとか。切れのいい打楽器で始まるが、実はこれらを叩いているのは福川さんとピアノの三浦さんというから驚く。上手い! そして聴いてみると、原曲にあるスケールの大きさ、熱狂はそのまま見事なホルンソロに仕上がっているのだ。
▼《思い出の四季》は日本人の耳になじんでいる歌曲のメドレー。凝ったアレンジではないがそれだけに、福川氏と木製ベルによる柔らかな音色と、彼の持つ“歌心”を堪能できる。
▼作曲家外山雄三氏の編曲による日本の歌曲群は、実はもともと故・千葉馨氏のために書かれたもの。コンサートでは何度となく演奏されていたが、録音として残っているのはごく一部。N響の大先輩の家におじゃましたときに遺された譜面を見て、録音として残すことを決めたのだとか。どれもアレンジに一ひねり、二ひねりあり、古くから歌い継がれてきた日本歌曲と新しい西洋音楽の融合が新鮮な印象を受ける。特にリリカルかつアヴァンギャルドなピアノのアルペジオが印象的な《出船》、ジャズ風アレンジでブルーノートに乗って耳慣れた旋律が出てくる意外性の《宵待ち草》、やはりテンションコードを多用した《夕焼け小焼け》など非常に面白い。だが、福川氏のホルン歌がアレンジに全く負けていないので、奇異な感じは全くなく、ごく自然に耳に入って来るのはさすがだ。
▼ホルンアンサンブルをする人ならば一度は耳にしたことがあるだろう《ずいずいずっころばし》。ベルリン・フィルのホルン四重奏《フォーコーナーズ》に初めて収録されたが、こちらも希少価値の高いNHK交響楽団のホルンセクションによるカルテットだ(日高氏はこの後退団し、東京藝大の准教授に)。「僕たちの方がベルリン・フィルよりノリの良い演奏をしていますよ」と福川氏は言い切ったが、聴けばナットク。
▼《荒城の月》は無伴奏ソロ。聴くと「あれ?」と思う箇所があるが、これはもともとの滝廉太郎の譜面のまま。後に山田耕筰がピアノ伴奏を付けた際に音が変えられ、現代に残ってしまったのだとか。次の《ふるさとの四季》はもともと混声四部合唱のための曲であり、ほぼそのままホルン4本で演奏している。とてもホルンらしいハーモニーで、シンプルに楽しく聴ける。これも、もはや再現不可能なN響ホルンセクションによるアンサンブルだ。
▼宮城道雄の《春の海》は「西洋音楽の要素を取り入れて邦楽を活性化させよう」という運動の一環として作られた曲で、まさに今回のアルバムの精神と(逆側の視点から)一致する。《思い出の四季》の編曲者でもある轟千尋によるピアノと尺八のためのアレンジをホルンで吹いているのだとか。尺八は約54cm、ホルンはF管で約3.6mだから約6.666…倍。深い意味はありませんが。
▼ディスク2は打って変わって、「ディスク1のような日本音楽を血として育った人が書く最新の西洋音楽」である。雰囲気も一変して、まさに現代曲。慣れない人はちょっと面食らうかもしれないが、ディスク1がホルンの持つ歌の力なら、ディスク2もまたホルンの可能性なのである。
▼池辺晋一郎《ホルンは怒り、しかし歌う》は以前から存在していた数少ない日本人作曲家による無伴奏ホルンソロのレパートリー。そのタイトル通り、グリッサンドやゲシュトップ、フラッタータンギングなども用いた、技巧的でとても激しい曲調を主としながらも、ときに嘆息するようなフレーズが挿入される。意外かもしれないがこの激しいホルンもまた福川氏の持ち味なのだ。オペラシティのソロリサイタル・シリーズ『B→C』でこの曲の演奏を聴いたときには、かなりの衝撃を受けた。
▼イギリスを拠点に活動している作曲家、藤倉大氏の《ぽよぽよ》は、タイトルから受ける印象と異なり、非常に難しい曲だ。ホルン奏者には馴染みの薄いワウワウミュートを終始付けて演奏し、また同音トレモロやグリッサンドなどが多用される上に、一見アドリブのように思えるフレーズもすべて譜面通りに演奏しなければならず、そのリズムは複雑を極める。しかし作曲者によれば、当時生まれたばかりの赤ちゃんのほっぺの柔らかさをイメージしたのだとか。確かに福川氏の演奏もテクニックを超越したもので、「難曲」という印象を聴き手に感じさせず曲のイメージを伝えてくれるものになっている。ちなみに福川氏による委嘱作であり、世界初録音。
▼細川俊夫は現代日本において、そして世界でも著名な作曲家。この曲はルツェルン音楽祭の監督としても有名な音楽プロデューサーであり、震災後の日本においても被災地に音楽を届けようというプロジェクトを企画するミヒャエル・ヘフリガーの50歳の誕生日の贈り物として作曲されたもの。ちなみに初演はベルリン・フィルのシュテファン・ドールだった。深く瞑想的で、祈りのようにも思える曲であり、演奏が心に沁みるようだ。
▼吉松隆《スパイラルバード組曲》も、福川氏による委嘱作品。「ホルンという楽器にとらわれない曲を」というリクエストにより、ホルン離れした難易度の高いパッセージと引き換えに、“解き放たれた”ような自由闊達さを手に入れた。ノリの良いジャズテイストも盛り込みつつ、抒情的な歌や気持ちの高ぶる場面もあって、“渦巻き鳥(=スパイラルバード)”の物語をイメージできるとても楽しい曲だが、楽しく聴かせることは並の演奏者にはできないだろう。しかし「こういう曲が存在することにより、日本のホルン全体のレベルが一段上がって欲しい」という思いを、福川氏は抱いているのだ。
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