アレキサンダーファン
2006年01月掲載
プロフィール
勝俣泰(かつまたやすし) 勝俣泰
(かつまたやすし)
東京都出身。東京芸術大学卒業、同大学院修了。 ホルンを有馬純晴、守山光 三、千葉馨、松ア裕の各氏に師事。 98年よりサイトウキネンオーケストラに参加。 2001年より1年間文化庁芸術家在外研修員としてドイツに留学。 デュッセルドルフ・ロベルト・シューマン音楽大学を最優秀の成績で卒業。 ヨアヒム・ペルトゥル氏に師事。 新日本フィルハーモニー交響楽団を経て、2005年4月よりNHK交響楽団契約団員。
第15回 プレーヤーズ
勝俣泰インタビュー

国内外のホルンプレーヤーにスポットを当て、インタビューや対談を掲載するコーナー。
ホルンについてはもちろん、趣味や休日の過ごし方など、
普段知ることの無いプレーヤーの私生活についてもお伝えします。

─やはり小さい頃から音楽に触れていたんですか?
勝俣泰 少年時代 勝俣泰 少年時代 元々は野球少年だったんです。ひたすら野球野球で、学校の音楽の授業は大嫌いでした。少年野球チームに所属していて、プロ野球選手になるのが夢でした!もちろんピアノを習ったことも無かったですし、本当に音楽とは全く縁の無い生活を送っていたんです。


─それが何故ホルンを始めることに。
中学に入って少年野球とは別にバスケ部に入ったんですけど、1年生の時に交通事故にあって、しばらく運動が出来なくなったんです。


─運動出来なくなるくらい大きな事故だったんですね。
いやぁ、トラックに跳ねられたんです(笑)。弟と自転車で走っていて、「あっトラックが来た!危ない!」と思ったら、もう記憶がなくて、気付いたら倒れていたんです。その一部始終を見ていた弟が言うには、僕が跳ねられて、飛んで、ブロック塀にぶつかって落ちたらしいんです。そのブロック塀がクッションになったから助かったんですね。


─無事だったから、今では笑って話せますが、やはり大きな事故でしたね。
まぁそれで運動が出来なくなったので文化部に入ろうと思い、叔父が東京佼成ウインドオーケストラにいた影響もあって、吹奏楽部に入ったんです。そこで楽器を選ぶときに、なんとなくホルンがやりたかったんですよ。でも、途中入部だったのでホルンが余ってなくて、残念ながら楽器の余っていたトランペットをやることになったんです。


─普通と逆のパターンですね(笑)
そうなんです(笑)。そんなわけで、元々やる気があって入った訳でもなく、さらにトランペットにまわされてしまいましたから、部活はサボりまくっていたんです。中学2年になって、佼成ウインドの演奏会を聴きに行く機会があったんですが、そこでシューマンのコンチェルトシュトゥックを聴いたんです。この曲がどんなに難しい曲かなんて知らなかったんですけど、とにかくメチャクチャ感動したんです。この時に、自分はホルンでプロになるって決めました。その時はまだトランペットを吹いていて、ホルンを吹いたことなかったんですけど(笑)。
帰ってすぐにそのことを両親に話したら、すんなり「いいよ」って言われたんですけど、佼成にいた叔父には反対されましたね、プロになんて簡単になれないんだからって。それでも、とりあえず納得いくまでやりたいと言って協力してもらえることになり、両親も、高校に入ってから全ての勉強を始めさせてやるということになったんです。なので中学を卒業するまでずっとトランペットを吹いていたんです。


─高校に進学して、念願のホルンを始める。
そうなんです。都響の有馬先生に習うことになって、最初のレッスンで楽器を買いたい旨をお話して、選んでいただいたのが103でした。ホルンの他にピアノやソルフェージュも習い始めました。さらに、品川のアマチュアオーケストラにも入団して吹いていました。高校に入って一気に色々始めたんですよ。そして1年浪人をして東京芸大に入学しました。


─大学ではどなたに習われていたんですか?
高校の時に、有馬先生が留学された時期があって、その間は守山先生に習っていましたが、有馬先生が戻ってこられてからは、お二人に付いていました。芸大では守山先生と千葉先生と松崎先生に習いました。僕は芸大での千葉先生の最後の教え子でした。僕がいたときは公開レッスン等も多くて、思い出せるだけで、マック・ウィリアムス、リツコフスキー、ザイフェルト、ブラトコヴィッチ、マイケル・トンプソン、他にも名だたる名手のレッスンを沢山受けることが出来ました。


─では順風満帆に学生生活を送られたんですね。
それが…。2年の時にホルン科でスキーに行ったことがあったんですよ。僕はスキーをやったことが無かったのですが、運動には自信があったので、いきなり一番上まで行ったんですよ(笑)。こんなの楽勝と思って滑ったんですけど、案の定滑り方なんてわからないので、直滑降で滑っていったんです。どんどんスピードが上がってきて、これはまずいと思い、わざと転んだんです。その時にストックが絡んでしまい、左手の薬指を骨折してしまいました…。1ヶ月間ギブスをはめていたのですが、その間は3番を使うことができなかったため、替え指を多用して吹いていました。なのでF管を使う良い練習になりましたね。遠くから見られると、小指を立てて吹いているように見えるのが難点でしたが。余談なんですが、実は今まで救急車に4回も乗ったことがあるんです(笑)。


─事故が多いですね…、これからも気をつけてくださいね。その後、新日本フィルに。
卒業後に、フリー奏者になるか、大学院に行くか、留学するか迷っていたんですけど、守山先生に相談したところ、全部やればいいと言われました。大学院に行って仕事もして、そして留学の準備をすればいいと。それで大学院に進みました。そして院を修了してから新日本フィルのオーディションを受けて入団したんです。


─新日本フィルには何年在籍されていたんですか?
通算6年ですけど、2001年から1年間留学していました。


─留学はどちらに。
ドイツのデュッセルドルフです。そこで、ケルン放送響のヨアヒム・ペルトゥルという方に習いました。僕は下吹きなので、下吹きの先生に付きたかったのです。ヨーロッパでの生活や文化を感じることができ、とてもいい経験になりました。


─そして帰国。
2002年9月に新日本フィルに戻ってきて、2005年の4月からNHK交響楽団の契約団員として現在試験期間中です。


─なるほど、それではアレキサンダーホルンの魅力は?
皆さんそうだと思うんですけど、やっぱり音色ですよね。言葉で説明するのは凄く難しいんですけど、輝かしくて、豊かで、細かなニュアンスが出せる。そういう魅力がありますよね。


─では恒例の、趣味についてお聞かせください。
特に何か継続してというのは無いですねぇ。でも、車の中で好きな音楽を聴きながら走るのが好きですね!気分転換にもなりますし。特にどこかに行くというわけでは無いんですけど、空間の移動を楽しむというか。音楽を聴きながらというところが重要なんです。


─ちなみに、どんな音楽を聴いているんですか?
ほとんどバッハばっかりです!基本的にクラシックが好きなので、家でもクラシックばかり聴いていますね。リヒャルト・シュトラウスのオペラなんかも素敵ですし。勉強の為とかじゃなくて、本当にただ好きなんです(笑)。


─最後に会員に向けて一言お願いします。
同じ103を使っていても人それぞれ、様々だと思うんですね。でも、それぞれが思い描いている、求める音を楽器と共に紡ぎだそうとする姿勢は変わらないと思います。音色が魅力と言いましたが、その先の一歩踏み込んだ、音楽をするということを、もっと一緒にやっていければなと思います。アレキサンダーを選ぶということも、その音色も音楽を表現する一つの手段に過ぎないのですから。


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