アレキサンダーファン
2005年07月掲載
対談インタビュー プレーヤーズ

国内外のホルンプレーヤーにスポットを当て、インタビューや対談を掲載するコーナー。
ホルンについてはもちろん、趣味や休日の過ごし方など、
普段知ることの無いプレーヤーの私生活についてもお伝えします。



 プレーヤーズ 第9回

 倉持幸朋インタビュー


 
 
それではまず、ホルンを始めたきっかけから。

 
運動は得意な方ではなかったので、中学校の時にブラスバンドに入って始めました。小さい頃にピアノをやっていたんですが、たぶん1年くらいで辞めていて、それまでは特に楽器をやっていた訳では無かったんです。でも、その中学校はブラスに力を入れていたし、親の薦めなどもあってブラスに入りました。


 
 
では中学生の時はブラス漬け。

 
そうですね、コンクール前なんかは、朝9時から夜9時までみたいな(笑)。そして、高校でもブラスをやりたくて、今度はブラスの強い学校を選んで進学したんです。


 
 
高校では吹奏楽コンクールで優秀な成績を?

 
それが、自分が入る前と卒業した後は良かったんですが、自分の居た時は駄目だったんです…。楽しかったですけど(笑)。


 
 
いつから音大を意識し始めたんですか?

 
中学校の時のブラスの顧問の先生に感銘を受けて、自分も音楽の先生になりたいと思っていて、高校1年の時には音大に行きたいと思っていました。教育大とかでも良かったんですけど、せっかくホルンを吹いていたし、その中学校の顧問の先生が国立音大の声楽科出身だったので、自分も国立音大に行きたいと思ったんです。それで、高校2年の時から当時仙台フィルにいらした上原さんのレッスンに付いて、受験して受かることが出来ました。


 
 
音楽の先生に成るべく、念願の音大へ進学。

 
もちろん教職課程は取っていたんですけど、1,2年で一色先生、3,4年で大野先生にホルンを習い、授業でオーケストラや室内楽をやっているうちに、『先生』から『プレーヤー』へと意識が変わりました。これといったきっかけは無いんですが、周りの環境で自然とそうなりましたね。


 
 
卒業してもホルンの道でやっていこうと。さらに何処か席をおくとか、留学とか。

 
えた時期もあったんですが、早く仕事をしたいという気持ちがあったんです。なので、色々な所で吹いて経験を積み、実践的な勉強が出来ればと思い、フリー奏者の道を選びました。もちろんフリーの仕事だけでは生活出来なかったので、大学2年の時からやっていた、ラーメン屋のバイトも続けていました。ラーメンは元々好きなんですが、5年間くらいやっていたので、店では1番長い店員でしたね(笑)。でも、とても環境の良い店で、そこで社会に出るための一般常識等の社会勉強が出来ました。とは言っても、ホルン奏者なわけですから演奏を疎かにするわけにもいかないので、時間的な融通を利かせてくれたのは大きかったですね。


 
 
そして広島交響楽団のオーディションに合格された。

 
それまで何回もオケのオーディションは受けていたし、コンクールも受けていました。それから、大学を卒業して2年目くらいだったと思いますが、都響の笠松さんのレッスンを受ける機会があったんです。それが、今までの先生とタイプが違って、新たな視野が広がりました。自分の受かった広響のオーディションは、過去2回受けて、その時は駄目だったんですが、そんなこともあり、どうにかレベルアップをすることが出来たので受かることが出来ました。もちろん運とか勢いってのもあったと思いますが。


 
 
プロのオーケストラに入って何か変わったことはありますか?

 
やはりフリーだと、経済的に浮き沈みがあるんですけど、そこの心配が無くなりました。それから、基本的に同じメンバーで吹く訳ですから、安心感がありますよね。それと、フリーの場合プロオケで1番を吹く機会はあまり無いのですが、今は1番を吹かせてもらえるので、とても勉強になります!


 
 
ではでは、アレキファンですから、アレキについてお聞かせ下さい。

 
アレキは大学を卒業して2年目から使っています。それまでは違うメーカーの楽器を使っていたんですが、今思えば、頭の中ではいわゆる一昔前のベルリンフィルのようなアレキの音をイメージしながら吹いていたんです。一流の奏者なら、どんな楽器を使っても自分のイメージした音を出せると思うんですけど、自分はなかなかそうはいかなかった。それが103にしたら、周りも「絶対そっちの方がいいよ!」って(笑)。結果的に自分の出したい音色に近いものが103にはあったんですね。


 
 
それでは、ホルンを離れてプライベートのことを。1番の趣味は?

 
現在の愛車『アコードEuro-R』と倉持氏
現在の愛車『アコードEuro-R』と倉持氏
車に乗るのは好きですね。大学生の時に中古でホンダのインテグラを買って、その車で広島まで行きました!今は、同じくホンダのアコードEuro-Rというのに乗っています。ホンダのエンジンは最高です!(宣伝)一番最近では山口県の岩国までドライブしました。


 
 
ラーメンが好きと言われていましたが、お勧めの店とかありますか?

 
そんなに行ってないですけど、有名店には行きましたね。お勧めと言われれば、東京の調布にある『たけちゃん にぼしらーめん』ですね!僕はわりと魚の出汁が好なんで、魚系が好きな人は絶対行った方がいいです。ここは本当に旨いんですよお。


 
 
ラーメン屋でバイトをしていたくらいですから、料理もされるんですよね。

 
学生の頃は全然しなかったんですけど、卒業してからは自炊するようになり、やってみたらこれがハマっちゃったんですよね。ラーメン屋と関係しているか分かりませんが、出汁を取ることに凝ってしまって、上野に行ったときは必ずアメ横に立ち寄り、昆布を買ったりするんですよ(笑)。


 
 
ちなみに、仙台生まれで、現在は広島にお住まい。東北楽天と広島カープ、どちらのファンですか?

 
実はですね…。野球はあまり見ないんです(笑)。野球に限らず、メジャーなスポーツはあまり見ないですね。でも、最近は運動を何かしようかなと思って、バトミントンをやっています。あと、冬はスキーですね!
芸北国際スキー場にて
芸北国際スキー場にて
 


 
 
では、最後に会員に向けて。

 
アレキという楽器を通して、沢山の人が繋がっていけばいいですね!






PROFILE

倉持幸朋 ●倉持幸朋

仙台市出身。13才よりホルンを始める。2001年国立音楽大学卒業。在学中、学内オーディション合格者によるソロ室内楽定期演奏会、卒業演奏会等に出演。卒業後、国立音楽大学附属音楽高等学校助手、桐朋学園大学嘱託演奏員として勤務の傍ら、フリーランスのホルン奏者としてオーケストラ、室内楽、吹奏楽などを中心に活動を行う。日本モーツァルト青少年管弦楽団とモーツァルトのホルン協奏曲第1番、第2番を共演。2004年9月より広島交響楽団団員。これまでにホルンを上原正弘、一色隆雄(故人)、大野良雄、笠松長久の各氏に師事。



インタビューを終えて

思い起こせば、自分も中学生でホルンを始め、その時のブラスの顧問の影響がものすごく大きい。あの先生に出会っていなかったら、今こうしてアレキファン編集長をしていなかっただろうし、ホルン奏者にもなっていなかっただろう。良くも悪くも、最初に出会う指導者は、その先の人生に多大な影響を及ぼす存在であろう。倉持氏も、素晴らしい先生に出会ったからこそ、今プロとして活躍しているのでしょう。いやいやしかし、みやっちと意外な共通点が多くて、インタビューは盛り上がりました(^_^;)

みやっち@編集人

 
当コーナーの情報はそれぞれ掲載時のものです。
プロフィール等変更となっている場合がございますので予めご了承下さい。




↑ ページトップへ戻る


ALEXANDER HORN OWNER'S CLUB Copyright© Yamaha Music Japan Co., Ltd. 個人情報保護方針