アレキサンダーファン
2005年02月掲載
対談インタビュー プレーヤーズ

国内外のホルンプレーヤーにスポットを当て、インタビューや対談を掲載するコーナー。
ホルンについてはもちろん、趣味や休日の過ごし方など、
普段知ることの無いプレーヤーの私生活についてもお伝えします。



 プレーヤーズ 第4回

 竹村淳司インタビュー


 
 
それではまず、ホルンを始めたきっかけからお聞かせください。

 
4つ上の兄がトランペットをやっていて、小さいときから聴いていたんです。その影響で、小学校4年生のときに鼓笛隊に入ってトランペットを始めたんです。そして中学校に入って吹奏楽部に入り、トランペットがやりたかったんですけど、希望者が多くてオーディションがあったんです。そして受けて落ちて違う楽器をやらなければならなくなった…。どうせやるなら木管楽器よりトランペットと同じ金管楽器がいいなと思い、ホルンを始めたんですけど、実はその時までホルンという楽器を知らないで、「あ、こんな楽器もあるんだ〜」という感じだったんですよ(笑)。
その時の3年生の先輩が、とてもいい音で吹く人で、ホルンはリップスラーとロングトーンが命だ!という、今思えば素晴らしい考えを持った人だったんです。だから、とにかく先輩みたいになりたくて、時間があればリップスラーをやっていましたね。それは本当に財産になっています。
その先輩が今は地元で教員をやっていて、たまに指導をしに行くんです。それで、あの時試験に落ちてホルンになったんですよねーって話したら、「実は、お前がトランペットを吹いているのを聴いて、こいつは絶対ホルンに向いてる、絶対にホルンが上手くと思って、俺がホルンに引っ張ったんだよ」って言われたんです!だから、その先輩がいなかったら、今の自分は無かったかもしれないなぁって思います。


 
 
その後、高校に入っても吹奏楽部へ?

 
当時、吹奏楽で有名な遠山詠一先生という方がいて、その先生が新しく赴任した浜松商業高校へ進学して、吹奏楽部に入りました。その年に初めて吹奏楽コンクール全国大会に出場でき、その後2年3年のときも全国大会に行けたんです!しかも、1年生のときは銅賞、2年生で銀賞、3年生の時には金賞だったんです。青春してました、あの時は(笑)。
その一方でホルンを吹くことにものめり込んで、高校2年の時に音大へ進みたいと思い、そして親にそのことを告げると、「やめろ!そんなもんじゃ飯は食えないんだから」と言われてしまったんです。でも、どうしても説得したかったので、静岡県の学生を対象にした学生音楽コンクールというのに出場して、優秀な成績をもらうことが出来たならば考えてもらえないだろうか?と言って了承を得ました。そしてコンクールを受けて1位を取ったんです!それで親を納得させました。
その年の11月から、遠山先生の伝で千葉馨先生を紹介してもらい、月1のペースでレッスンに付きました。それから約1年、時間が無かったですけど、ソルフェージュや楽典など勉強して、なんとか国立音大に入ることが出来ました。


 
 
何故そんなにホルンにのめり込んだんでしょう?

 
何故かはわからないのですが、思い出すと中学3年のときにはモーツァルトのホルン協奏曲第3番の譜面を買って練習していましたねー。でも譜面を見て『inEs』?なんだそれ?みたいな感じでした(笑)。それで、最初に買ったホルンのCDが、ヘルマン・バウマンが吹いているナチュラルホルンのモーツァルトのCDで、それを聴いて「あれ?聴いてる音と自分が吹いている音が違うぞ!」と気づき、ホルンって読み換えなきゃいけないんだ…、面倒くさい楽器だなぁと思いました(笑)。ただ、先生に付くのが遅くて、ずっと自己流でやっていたので、あとでやり直した事がいっぱいありましたけどね。


 
 
大学でも千葉先生に付いていた?

 
国立(音大)って面白いシステムなんです。誰々門下って分かれないで、先生が2人いらっしゃって、1・2年と3・4年で両方の先生に習えるんです。僕が1年のときは大阪泰久先生という先生だったんですけど、ブラスの指揮もやっている方で、途中で指揮の方に専念されるということでホルンの先生を辞められたんです。そして2年の時に、代わって来られたのが安原先生でした。それから3・4年の時は千葉先生に習いましたので3人の先生に付いたことになります。同じ先生に4年間習うことも悪いことじゃないと思うけど、2年2年で違う先生に習えるってことは良いことじゃないかなと思います。


 
 
そして卒業されてオーケストラに。

 
卒業してから2年間、出来たばっかりのシエナ・ウィンド・オーケストラにいました。その後、僕が26歳のとき、ちょうど10年前の1995年1月から99年の6月まで、東京シティフィルハーモニック管弦楽団に在籍していました。


 
 
日本管打楽器コンクール第1位を獲得されたのは。

 
1994年、ちょうどシティフィルのオーディションに受かった年です。この年は僕にとって、とても転機の年でした。7月にシティフィルのオーディションを受けて合格したんですけど、9月にはミュンヘンコンクールを受けに行ったんです。その年はバボラクが優勝した年で、彼の演奏を聴いたときはカルチャーショックは凄かったです。なんだこいつー!!19歳!?って感じで、ホントびっくり。あの時の衝撃は今でも忘れられないです!僕も運良く1次予選を突破して、2次予選まで行ったんですけど、著名な審査員の中で2回も演奏できたことと、バボラクの演奏を目の前で聴けたことが、すごい良い経験になりました。そのテンションのまま、その年の11月に管打楽器コンクールを受けて、とても良い雰囲気で吹くことが出来たんです。本線のウェーバーのコンチェルティーノも、大学の卒業試験で1度吹いていたので、初めてコンクールで吹く人よりも、少しは有利だったのかなと思いました。


 
 
アレキサンダーホルンは、いつから使っているんですか。

 
音大に行くことを決めて、親に頼み込んで買ってもらったのが103です。だから高校2年の時ですね。


 
 
では、アレキの魅力は。

 
そうですね、僕はホルンを勉強始める段階から、もう既にアレキサンダーを 使ってきたので、考えの基準がアレキサンダーになっていて、良くも悪くも体の一部になっているんです。なので、何が良いか悪いのか、あまり良くわからないんですよ(笑)。でも、サウンドはいいですよね。懐が深くて、自分の要求に応えてくれる。自分が“こうしたい”と言うことにアレキサンダーが「いいよいいよ」「大丈夫だよ」と言ってくれる。そんな反応が凄い好きです。あとは、どの音域を吹いても、均等な音色がするのが好きですね。やっぱり許容量、キャパシティが大きいんだと思います。


 
 
では、趣味の話に移りたいと思います。野菜を作っていたそうですね。

 
昔、横浜に住んでいたときに、家にちょっとした庭があったんです。もともと母親が花を育てるのが趣味という影響がありまして、でも花には興味がなかったので、どうせやるなら趣味と実益を兼ね備えた、野菜作りをしようと思ったんです(笑)。それで最初に枝豆を作ったんですけど、それが美味しくてねー、全然味が違うんですよ!そこに3年間住んでいたんですけど、その間に枝豆、トマト、プチトマト、茄子、ブロッコリー、アスパラガスを作りました。普通に作っただけなんですけど、本当に旨いんです。もちろん完全無農薬で、虫が付いていたら摘んで捨てたりして。どれだけ成長しているのか、毎朝起きるのが楽しみでした(笑)。双葉が成長する前に畑に出してしまうと、鳩が芽を食べてしまって、その後の成長が遅くなってしまうので、最初は小さな黒いゴム製の鉢で育てて、双葉が成長してから畑に植え替えたりしていました。
ヴァイオリニスト高嶋ちさ子さんと枝豆 出来たものをオケのメンバーに食べてもらったりしていたんですけど、バイオリンの高嶋ちさ子さんと共演したときに、どうですか?なんて食べてもらっったら、「美味しいです!」と言ってくれて、枝豆と一緒に写真を撮ったんですよ(笑)。今の家は庭が無いので野菜は出来ないですけど、ベランダでパキラなどを育てています。
ヴァイオリニスト高嶋ちさ子さんと枝豆  


 
 
ほかにも趣味はありますか?

 
自慢の愛車ダイハツ・ムーブと竹村氏
自慢の愛車ダイハツ・ムーブと竹村氏
乗り物を操作するのが好きです!大学1年のときに免許を取って、ホンダのVFという、現在売っているVFRの前身のバイクを買って乗っていました。その後、シティフィルに入ってからスズキのGF、100ccのスクーターと乗り継いで、今はホンダのVTスパーダというバイクに乗っています。時間があれば大型二輪の免許も取りたいと思っているんですよ。

車も学生のときから乗っていて、安〜いスプリンターから始まって、ライトエース、ラルゴと乗っていたんですけど、ラルゴにガタがきてダイハツのミラに買い換えたんですけど、この車の前のオーナーが凄くいじっていた車だったんです。乗ってみると、これが楽しくて、車の改造にも火が点いちゃったんです(笑)。それで今は、同じダイハツのムーブに乗っていて、地道に改造を重ねている最中です。


 
 
では最後に、会員に向けて一言お願いいたします。

 
車のツーリング仲間のように、こういうクラブの良いところは、集まったり、情報交換なんかが出来るところだと思いますので、大いに利用してもらって、そして末永くアレキサンダーホルンを愛してもらえると嬉しいなと思います。



[情報]
東京交響楽団
第523回定期演奏会
2005年3月30日(水)7:00pm
サントリーホール
指揮:ユベール・スダーン
【曲目】
モーツァルト/協奏交響曲 変ホ長調 K.297B, app.9(ロバート・レヴィン再構成
版)
ブラームス/交響曲 第1番 ハ短調 作品68
【出演】
フルート:相澤政宏(東京交響楽団首席フルート奏者)
オーボエ:池田肇(同首席オーボエ奏者)
ホルン:竹村淳司(同首席ホルン奏者)
ファゴット:大埜展男(同首席ファゴット奏者)
詳細は東京交響楽団ホームページhttp://www.tokyosymphony.com/まで。
  


PROFILE

久永 重明 ●竹村 淳司
13歳よりホルンを始める。1993年国立音楽大学卒業、卒業演奏会に出演。1994年第11回日本管打楽器コンクール第1位入賞。同コンクールの「入賞者の表彰式・特別演奏会」にて、手塚幸紀指揮、東京シティフィルハーモニック管弦楽団とウェーバーのコンチェルティーノを共演。1995年東京シティフィルハーモニック管弦楽団に入団。1996年、山形県で開催された「第27回国 際ホルンシンポジウム」にてケルビーニの「2つのソナタ」を演奏し好評を博す。1997年11月東京シティフィルの定期演奏会にてR・グリエールのホルン協奏曲を演奏。1999年6月、出身地である浜松市にてホルンリサイタルを行う。同年7月、東京シティフィルを退団し東京交響楽団に首席ホルン奏者として入団。同年11月、東京シティフィルの定期演奏会にて西條貴人氏(東京都交響楽団ホルン奏者)とのコンビでJ・フィアラの「2つのホルンとオーケストラのための協奏曲」をソリストとして演奏し好評を博す。2003年第20回日本管打楽器コンクールホルン部門の審査員を務める。現在、東京交響楽団首席ホルン奏者、東海大学講師。このほかにも東京ホルンクヮルテットやアレキサンダーホルンアンサンブルJAPANのメンバー、ソリスト、室内楽奏者として多方面にわたって活躍している。
これまでに千葉馨、安原正幸、大阪泰久の各師に師事。さらに’97、’99年にアフィニス音楽祭にて、’98年にスイスの首都、ベルンにて「ベルン音楽院秋期講習会」にて、フライブルク音楽大学教授のブルーノ・シュナイダー氏(Bruno Schneider 元スイスロマンド管弦楽団の首席ホルン奏者)に師事する。



インタビューを終えて

インタビュー前日に行われた東京ホルンカルテットの演奏会でも、力強く素晴らしい演奏を披露した竹村氏。野菜という、とてもナイーブな生き物を育てられる繊細さが、その演奏に繋がっているのではないか?と、勝手に思いました。私は、いつも植物を枯らしてしまうので演奏が大雑把になっているのかなぁ…。植物を育ててみるのも、良い演奏をするためにいいかもしれないですね!でも私は車の方に走ってしまいますが…。

みやっち@編集人

 
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