|
|
キルヒナー《オルフェオの嘆き》のリハーサル風景。ベルから出た音をピアノ内部に反響させるため、演奏位置が重要となる |
|
|
冒頭の写真でもおわかりいただいたかもしれないが、ドールさんの気さくで陽気な人柄はとても魅力あふれるものだ |
|
|
リハーサル中やカメラを向けたときの表情が豊かだったのも印象的。こういう人柄が、あの音楽性につながるのだと納得 |
|
|
リサイタルはピアノに横山歩さん、特別ゲストとしてクラリネットの赤坂達三さんを迎えてのステージ。まず注目はそのプログラム。前半が20世紀前半に書かれたフランスの作曲家による小品、後半が20世紀のドイツ作品を集めているが、デュカスの《ヴィラネル》以外はホルン吹きにもそれほど知られていない曲ばかり。しかし、結果として聴衆をまったく飽きさせないどころか、ぐいぐいと演奏に引き込んでしまった。
個人的感想ですが、これほど見知らぬ曲が並んだ演奏会が、これほど短く感じたのは初めてだった。
冒頭のポール・ル・フレム《ホルンのための小品》から、まずその明るく、柔らかく、そして伸びやかな音色で聴き手を魅了する。特に高音のffなどは聴いていてカタルシスを感じるほど爽快。
しかも、音量、音色を含め、表現の幅が極めてダイナミック。ル・フレムの曲は様々なホルン的要素が入っているのだが、その時々にあわせて自在に表現を変化させるのだ。このフレキシビリティこそが、ドールという人の一番の持ち味のような気がしている。
もうひとつは、楽器を吹くという行為が、音楽表現をまったく妨げていないこと。もちろん耳に聞こえるのはホルンの音色なのだが、それは同時にドール氏自身の声であるように、聴き手には感じる。「音が外れやすい」「レガートが苦手」「ギネスブックで世界一難しい楽器と認定されている」など、いったいどこの世界の話なのだろうか、とさえ思ってしまう。
2曲目、シャルル・ケックランの《小品》は同じようなパターンの音型の繰り返しで成り立っている曲だが、淡い墨のような色から始まって陽光の挿すクライマックスに到り、再び薄暮に帰っていくような、グラデーションの豊かなドールのホルンが曲を一層魅力的に感じさせる。
3曲目は赤坂達三さんのクラリネットで、ドビュッシーの《ラプソディー第1番》。クラリネットの主要レパートリーの1曲であるが、曲の表情がくるくると変わり、またその触れ幅が大きい。赤坂氏はドールに負けじと(?)とても繊細かつダイナミックな演奏を披露してくれた。
不思議だったのは、今ホルンを聴いているのか、クラリネットを聴いているのか判然としがたい瞬間があったこと(居眠りしていたわけでは、決してありません)。もしかすると、一流の演奏家というのは楽器の違いを超越してしまうのかもしれない。 |
|